春の行楽、そのはじまりといえば、梅祭り。
暦の上では春とはいえ、まだまだ寒さ厳しい冬でもあるこの時期。
写真撮影を愛する散歩好きにとっての楽しみは、やはり探梅記ということになるでしょう。
枝ぶり、可憐な花びら、馥郁と薫る春の訪れを告げる匂い。
そんな梅の香を味わいながら、元気にさまざまな古蹟を訪ね歩く夫婦写真散歩。
墨東雪景色
今回は記録的な大雪に見舞われた墨東の週末散歩をお届けします。
言問橋から白鬚橋方向を望む隅田川の雪景色
在原業平作と伝わる和歌を由来とした言問橋を渡ると、源頼朝ゆかりの神社、牛島神社の端正に整備された境内の雪景色は古色蒼然の深い味わい。牛島神社
社伝によると貞観二年(860)慈覚大師が建立したと伝えられています。
その由来については、慈覚大師が一草庵で須佐之男命の権現である老翁に会った際の託宣により建立したと伝えます。
それから300年以上の時が流れ、平安時代末期、源頼朝が下総国から大軍を率い、武蔵国へと進むとき、隅田川の洪水に悩まされ、難渋します。
そこで武将・千葉介平常胤が当社に祈願したところ無事渡河することができたため、その神徳に感謝した源頼朝が翌年養和元年(1181)社殿を造営し、多くの神領を寄進しました。
江戸時代は鬼門守護の社として将軍家の崇敬があつく、将軍家光は本所石原に社地を賜わりお旅所としました。
明治初年以後牛嶋神社と称し、本所総鎮守として崇敬を集め、明治時代には郷社に列格していました。
大正十二年関東大震災で社殿等が炎上し、次いで帝都復興計画で隅田公園ができたため、向島一丁目(旧水戸徳川家下屋敷跡)に移転、昭和七年現在の社殿が完成しました。
隅田川七福神めぐり
三囲神社(墨田区向島2-5-17)大国神・恵比寿天
隅田川七福神めぐりほかで何度もご紹介してきました、三井家の守護神を祀る三囲(みめぐり)神社。
日本橋三越の玄関にあったライオン像がいまここに移されています。
三囲神社社殿
隅田川に向かう鳥居に回り込むと風情のある雪景色に遭遇。
さすが三井グループの守護神だけあって、三越、三井物産、三井不動産、三井造船、三井倉庫、三井生命、三井住友銀行、三井住友海上、商船三井、中央三井トラストホールディングス、三井化学、三井金属鉱業などなど碑文に刻まれた企業はオール三井の様相です。
東京スカイツリーにも近い三囲神社=三井の大黒様を訪ねたら、ぜひ社殿をぐるりと一周してみてください。
さまざまな歌碑・句碑をはじめとする石碑、京都太秦の蚕のお社で有名な木島神社にある「三角石鳥居」(三柱)遺構があります。
「三井の大黒」三代目桂三木助
この噺は江戸に出てきた彫刻の名人として名高い左甚五郎がその名を隠してある大工の棟梁の家に居候をするところからはじまります。
その棟梁から新春の小遣い稼ぎに何か彫り物を拵えないかといわれ、その日からコツコツと仕事をします。そうして出来たのが大黒様の像でした。
越後屋の手代が大黒さまの像の制作料として驚くほどの大金を持ってきたことで、居候していた大工の棟梁やその周囲にも左甚五郎だと知られてしまいます。
ここから人情味あふれる話が展開するのが、「三井の大黒」。
ぜひゆっくりと名人芸を味わってみてください。
www.youtube.com
勝海舟が若き日坐禅を組んだと自伝「氷川清話」にも禅学修業の模様を綴ったことでも有名な黄檗宗のお寺さんです。
山門や本堂に黄檗宗の建築様式の特徴が見られる貴重な歴史的建造物も雪化粧です。
弘福寺(墨田区向島5-3-2)黄檗宗(布袋尊)
森鴎外もこのお寺の佇まいを好み、生前この寺に埋葬されることを望んだといわれていますが、ご遺族の意向で三鷹の禅林寺に移されたといいます。
こんな暴風雪の日に隅田川七福神めぐりをしている方はさすがにお見かけせず(苦笑)、「なにかの罰ゲームかい?」と言いながら喜んで歩く我が家の歴史散歩好きもウォーキング・ハイ、ある種の「ゾーン(zone)」に入ってきたのでしょうか(笑)。
こうなったら長命寺さんにも参拝しましょう。
雪の長命寺(弁財天)
徳川家光ゆかりの古刹もこの日は真っ白な雪化粧。長命寺の井戸水からくみ上げた水道管も凍りそうな冷え込みです。
自称(笑)完璧な防寒対策を施し、横殴りの風雪にめげず、向島百花園に到着。