行くぜ、東北。
山形県天童市にある史跡めぐりを中心に、近世の扉を開いた織田信長の人間五十年の真実と本能寺の変以降の織田家がどうなったのか?についてお届けします。
松尾芭蕉が門人の河合曽良とこの地を訪れた時期とほぼ同時期に奥の細道、蝉論争でも有名な山形市にある立石寺(りっしゃくじ)を歩いた記録をお届けします。
時をさかのぼり、歴史上の人物に会うことができ、質問が出来る。そんな魔法が使えるとしたら…。あなたは誰に会いたいと思いますか?私は迷わず松尾芭蕉と答えます。
北緯40度の文化的脈動というテーマに沿って、岩手県盛岡市の史跡を歩いた写真散歩の記録をお届けします。盛岡市の古代には蝦夷が独自の文化圏を有していたと思われ、上田蝦夷森古墳群からは「衝角付冑」や「蕨手刀」などが見つかり大和朝廷とは異なる生活形…
1933(昭和8)年病床で「昭和三陸地震」に遭遇し、その年、37年の短くも烈しい人生の幕を閉じた「宮澤賢治」ゆかりの地、三ツ石山、松川地熱発電所周辺の森を歩いた写真散歩の記録です。
前回ご紹介した山寺(宝珠山立石寺)に続き、初夏、山形を歩いた記録から。将棋の駒、温泉の街として有名で、サッカーJリーグ、モンテディオ山形の本拠地、天童市。サクランボ、ラ・フランス、リンゴ、ブドウ、蕎麦など名産品も数多く、芋煮、ナスを塩・唐…
今回は夏に降る雨の名前、文字通り「翠雨(すいう)」のなか、2012年7月中旬、山形市にある立石寺(りっしゃくじ)=通称「山寺」を歩いた記録をお届けします。