もしあなたが歴史上の人物に会えるとしたら、誰に会いたいと思いますか?
たった一度でいい。時をさかのぼり、歴史上の人物に会うことができ、質問が出来る。
そんな魔法が使えるとしたら…。
もちろん叶わぬ願い、ifですが、そんな夢想にワクワクしながら、さまざまな人物にさまざまな問いが浮かんできます。
もし、あなたが歴史上の人物に会えて、質問ができるとしたら、誰に何を聞いてみたいと思いますか?
松尾芭蕉「おくのほそ道」
元禄二年(1689)弥生も末の七日(陽暦五月十六日)、46歳という当時の平均寿命を超えた壮年に差し掛かっていながら、門弟曽良を伴って江戸を出発。
奥羽、北陸の歌枕や名所旧跡を訪ね、九月現在の岐阜県大垣までの全長600里(=約2,400km)を一日平均50kmペースで歩き、真の俳諧の「道」を実践し続け、「風雅の誠」を追い求め綴った俳聖松尾芭蕉、魂の記録、おくのほそ道。
風雅の精髄
日本文学史上に燦然と輝く才能、松尾芭蕉が残したリズミカルで簡潔な和漢混交文による「風雅」の精髄。
- 俗世を離れ閑寂、簡素でしみじみとした情趣を読み込む、「わび」
- 効果的な対句と物静かで奥ゆかしいこころが言葉の表面からにじみ出るときの閑寂、枯淡の趣き、「さび」
- 深い哀感もそのまま言葉に表すのではなく、感情が余情として表れるときの趣き、「しをり」。
- 繊細な感受性によって、対象に深く迫ったときに句意に反映される趣き、「ほそみ」。
- 「さび」をさらに高め、本質を深く追求しながらも対象を淡泊にさらりと表現してみせる、「軽み」。
俳聖松尾芭蕉はなぜこの旅に出たのか?
私はこんな問いを直接彼にぶつけてみたいと思っています。
その志の源は何ぞやと。
真の目的、その心情とはなんぞやと。
もちろん後世の歴史学者や研究家の検証、推論も数多く存在します。
上方を中心とした元禄文化の華が開かんとするこの時代。
肩にめりこむほどの旅の荷物を背負い、峠ひとつ越えるのも、川を渡るにも現代とは大きく異なり、大変な苦労があったこの時代。ひたすら徒歩の旅を続けます。
雨や風にも行く手を遮られ、時に案内人や運搬人を雇い、馬や船に乗ることもあった記録されています。
しかし乞食(こつじき)行脚ではなく、実際はきわめて金払いもよく、現在の貨幣価値に換算してみても百万円はゆうに超える旅費が掛かったと考えられています。
一両の貨幣価値
曽良の随行日記には福井県敦賀あたりで一両のお金を芭蕉に預けたとあります。
一両を現在価値にしてみる試みも数多く存在します。
日本銀行金融研究所の試算では一両=30万円〜40万円と推定されるとしています。
さまざまな資料を読み解き、現在から考える「あと知恵」ではなく、当時の旅を想像して考えてみると、命懸けという言葉もけっして大袈裟には聞こえません。
山形県尾花沢、清風という豪商との出会い
現在の山形県尾花沢市に到着した芭蕉と曽良は、清風という紅花問屋を営む豪商を訪ねます。お金持ちですが、志の高い人格者と絶賛した人物です。
清風は京都にも商用で何度も旅した経験から旅人の苦労、心情をよく理解していて、長旅の苦労をねぎらい、歓待します。
10日間にわたる長逗留となった尾花沢。居心地の良さを味わい、豊かな地方文化に触れた芭蕉は、清風主催の句会で、土地の方言「寝まる」という言葉を用い、粋な感謝の句を詠んでいます。
涼しさを わが宿にして 寝まるなり
この清風の薦めもあって、尾花沢から南下し、立石寺(山寺)を訪れ、
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後世、蝉論争まで起きた有名な不朽の名句、
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声
を詠みました。
立石寺(山寺)せみ塚
立石寺の印象、おくのほそ道
佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ
佳景寂寞(かけいじゃくまく)、立石寺では素晴らしい風景のなかに身を置いて、ひたすら心が澄んでいくことを感じた松尾芭蕉。
銀山温泉
ここが平成の世で人気の温泉地、山形県尾花沢市銀山温泉であります。銀山温泉は、かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来しています。大正末期から昭和初期に建てられた洋風木造多層の旅館が銀山川の両岸に沿って軒を並べ、昔ながらの独特な景観を味わうことができます。
最寄駅はJR大石田駅。東京から山形新幹線に乗り、3時間半弱で着きます。
大石田駅からバスで40分。
今回は雪景色が美しい、これぞ大正、昭和初期の佇まいとノスタルジー=大正ロマンを味わえる銀山温泉をご紹介します。
平均視聴率52.6%というビデオリサーチの統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録(2013年3月現在)を残したNHK朝の連続テレビ小説「おしん」の舞台としても有名な温泉です。