初夏、色鮮やかな青葉をよりつややかに見せる雨を言い表す日本語に「翠雨」「若葉雨」「緑雨」「青時雨」という言葉=雨の名前があります。
風や雨、空、雲、さまざまな自然現象に祈りを込めて、名前を付ける…そんな美しい日本語を育んできた先人たちの繊細な感性ってほんとうに素晴らしい。
島国日本の春夏秋冬=四季がある風土のなか、日本古来の伝統文化、人々の暮らしを「農業」が支えつづけてきました。だからこそ、自然に対する畏敬の念を抱き、自然とともに生き、日本人はさまざまな言葉を生み、育んできたのです。
日本には農耕民族としての長い長い歴史があるのだと、雨の名前にも感じた初夏東北への旅の記憶から…。
今週のお題「雨の日をエンジョイ」に因んで、7年ぶりに記事を改め、エントリーします。
翠雨の山寺
今回は夏に降る雨の名前、文字通り「翠雨(すいう)」のなか、7月中旬、山形市にある立石寺(りっしゃくじ)=通称「山寺」を歩いた記録をお届けします。
7月中旬ですから、俳聖松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」にも書かれ、かつて芭蕉が門人の河合曽良とこの地を訪れた時期とほぼ同時期にあたります。
山寺(宝珠山立石寺)
宝珠山立石寺は貞観2年(860)清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が開いた、天台宗のお山です。このお寺は52万坪に及ぶ広大な敷地を有し、この地方の宗派を越え、広く信仰を集めているとのことです。まず正面登山口から階段を上がると見えてくるのが国指定重要文化財の根元中堂です。
「奥の細道」蝉論争
芭蕉句碑
閑さや巌にしみ入蝉の聲
元禄2年(1689)「おくのほそ道」をたどり、太陽暦でいうと現在の7月13日に山寺を訪れた松尾芭蕉の有名な句です。門人たちが嘉永6年(1853)にたてた古い句碑があります。説明板とともにご覧ください。
建てられてから159年という時間が経過していますので、さすがに読みにくいのですが、望遠レンズで引き寄せてみました。
斎藤茂吉と小宮豊隆による「蝉論争」
松尾芭蕉が立石寺で詠んだ「閑さや巌にしみ入蝉の聲」の「蝉」が、どんな蝉なのか、単数かそれとも複数かなどについて多くの議論がありました。昭和の初期に、歌人で精神科医の斎藤茂吉(1882〜1953)と、夏目漱石門下で芭蕉研究家の小宮豊隆(1884〜1966)との間で激しい論戦が繰り広げられました。
議論の発端は1926年、歌人の斎藤茂吉はこの句に出てくる蝉についてアブラゼミであると断定し、雑誌『改造』の9月号に書いた「童馬山房漫筆」に発表したことから始まります。
蝉論争に関わった文化人
1927年、岩波書店の岩波茂雄氏は、この件について議論すべく、神田にある小料理屋「末花」にて一席を設け、斎藤茂吉をはじめ安倍能成、小宮豊隆、中勘助、河野与一、茅野蕭々、野上豊一郎といった文人を集めます。
茂吉はジィージィーと大きな声で鳴くアブラゼミであると主張し、小宮はチィーチィーと小さく鳴くニイニイゼミであると主張します。山形県出身の斎藤茂吉は、山寺のことだけに一歩も譲ることができずアブラゼミで押し通しました。
蝉論争の結末
ならば、これらのセミの活動時期を調べ、この論戦に決着をつけようということになり、実際に山寺に入って現地調査が行われました。その結果、芭蕉が山寺を訪れた7月13日(新暦=太陽歴。旧暦では5月27日)ごろ鳴き出しているのはニイニイゼミで、山寺界隈ではこのころまだアブラゼミは鳴かないという結果を得て、斎藤茂吉が敗れた形で蝉論争は終結したという話です。
今回私たちが訪れた7月中旬では蝉の鳴き声は聞くことができず、残念ながら蝉論争の結論を確認することはできませんでした。
宝珠山立石寺境内写真散歩
立石寺山門
ここで拝観料を納め、入山します。高低差160メートル、千十五段の石段を上りますので、かなりしっかり整備されているとはいえ、靴は滑りにくいトレッキングシューズなどで歩かれることをおススメします。一つ一つの石段を登ることによって、欲望や穢れを消滅させ、明るく正しく生きようと古の人々が昇った1,015段です。慌てず、騒がず、こころ静かに歩を進めましょう。
撫で仏「おびんずるさま}
長寿、病気平癒、ぼけ封じにご利益があるという仏像をしっかり撫てで、下山します。
すべりやすいかと思いきや、歩きやすい参道です。しかし油断は禁物。
人生も登山も上りより「下りをどう降りるか」が重要なのであります。
それでは皆さん、ここからゆっくりバーチャル下山をお楽しみください。
降りるとすっかり雨もあがり、体中から毒素が抜けきったような爽快感に包まれ、立葵をメモ。
松尾芭蕉「おくのほそ道」関連記事
俳聖松尾芭蕉を苦しめた持病とは?
弟子の如行に「持病下血などたびたび、秋旅四国西国もけしからずと、まづおもひとどめ候」と書き残しています。
また女弟子智月には「われらぢのいたみもやはらぎ候まま、御きづかひなされまじく候」と手紙を送っていることからもわかるように、切れ痔と疝気=腹部の疼痛に悩まされていたようです。
「持病さへおこりて、消入計(きえいるばかり)になん」=持病が起こり、死にそうな思いをしたと書き残しているように相当苦しんだことが分かります。
当時の治療薬
では芭蕉はどんな薬で治療していたのでしょうか?
各種文献から総合的に判断すると、その薬はアカメガシワという植物の花から作ったものであったようです。
アカメガシワには、現代の医学からみても「ペルゲニン」という成分が含まれているそうです。当時はその花を蒸し焼きにしてすり下ろし、患部に塗る。すると痔の腫れや痛みが治まるので切れ痔の治療に用いられていたようです。煎じて飲用にすれば疝気を抑える効果もあったようです。
アカメガシワの効用
令和の世になって、現代の日本人の感じ方では、下腹部特にお尻からの出血や痛みというと、肛門科の門を叩くのはちょっと勇気がいると考える方も多いことでしょう。お尻を見られるのはちょっと恥ずかしくて耐えられないと考える方もおられるのではないでしょうか?お気持ちは分かります。
しかし俗説に踊らされがちな素人判断は症状をこじらせる元凶とも言います。専門医に早く診察してもらえば良かったということのないようにしたいものです。
あなたのお尻、洗いすぎて傷つけていませんか?
専門医によると、洗浄時間は5秒から10秒程度にして、かゆみや痛み、出血があるときは使用しないほうがお尻のヘルスケアとしては正しいそうです。
実は私も温水洗浄便座の使い方は間違いだらけでした。
本日のBGM
The Piano Guys「Beethoven's 5 Secrets」
意味深なタイトルですが、美しい彼らの演奏を堪能できます。
Beethoven's 5 Secrets - OneRepublic - The Piano Guys
目次:本日の記事を振り返ります