夫婦写真散歩のススメ

歩く速さで、街の新陳代謝や季節の移り変わりをゆっくり、丁寧に味わってみましょう。

鐘ヶ淵散歩(隅田山多聞寺)

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鐘ヶ淵、向島を歩く

西に隅田川、東に荒川と、東都の二大河川にはさまれた鐘ヶ淵、向島。

このあたりは浅草=隅田川の西側からみて対岸に位置したことから向島と総称されます。

また歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」や江戸名所図会に数多く細かく描かれ、『東京府志料』や『明治東京名所図会』などの歴史資料には須崎(洲崎)・請地(浮地)・隅田(洲田)・牛島・寺島など古代から海浜地帯であったこの地域に洲や島があったことをしのばせる地名が多く残っています。

広重 名所江戸百景

広重 名所江戸百景

江戸時代に作成された古地図を眺めると、二大河川に囲まれたこの地域は水運が発達した江戸市中に蔬菜類を供給する農村でもありました。

池波正太郎先生の時代小説「剣客商売」シリーズで、主人公秋山小兵衛が隠居したのは鐘ヶ淵です。

剣客商売 一 剣客商売 (新潮文庫)

剣客商売 一 剣客商売 (新潮文庫)

隅田川の呼称と歴史

大川・墨田川・住田河・洲田川・角田川・澄江・墨水…サンズイに墨の旧字で表記される濹江、濹田川など隅田川の呼称、表記も歴史資料や古文書を見ると、さまざまな表記が存在します。

いまもなお、江戸文化のこころを継承し、桜の花の咲く季節には多くの花見客で賑わう隅田川両岸。

桜、花見の名所

江戸幕府第四代将軍・徳川家綱の命によって、隅田川堤に植樹が始まったとされる桜は、八代将軍徳川吉宗の治世下、享保二年(1717)に堤防保護と風流を目的にし、本格化します。

それ以降、文化・天保・弘化・安政期では地元の文化人である宇田川総兵衛、名主・坂田三七郎をはじめ、佐原鞠塢や浅川黙翁などに村人たちの有志が加わり、官命に頼らず、桜は植樹され、守られていきます。

かくして幕末には鐘ヶ淵の木母寺から向島・小梅村の三囲(みめぐり)神社まで桜が堤上を連鎖して覆うようになりました。

江戸中期以降は風光明媚な場所として大いに栄え、江戸後期、明治時代と文人墨客、旧幕臣の文化サロンとしても、その名を全国に広く轟かせることになります。

勝海舟はこの地にある弘福禅寺で若き日に精神修養をする日々を送り、江戸城無血開城の立役者として活躍した明治維新以降は天璋院篤姫をこの地にしばしば誘い、料亭を訪れたと記録に残っています。

また榎本武揚、成島柳北、寺門静軒、幸田露伴、永井荷風なども欧米の文化模倣をせず、江戸文化を継承する花と水の街、向島を愛し、この地に集うもの、永住の地とした旧幕臣、文人墨客も多く現れます。

明治以降、向島の桜は成島柳北や財界人の大倉喜八郎、安田善次郎、川崎八右衛門の出資と地元の人々の尽力で整備され、今日までその見事な風景を維持しているのです。

幕末維新パリ見聞記――成島柳北『航西日乗』 栗本鋤雲『暁窓追録』 (岩波文庫)

幕末維新パリ見聞記――成島柳北『航西日乗』 栗本鋤雲『暁窓追録』 (岩波文庫)

江戸繁昌記 寺門静軒無聊伝 (講談社文庫)

江戸繁昌記 寺門静軒無聊伝 (講談社文庫)

明治以降もさまざまな歴史に彩られた花と水の街、鐘ヶ淵、向島。

関東大震災や東京大空襲といった災厄を乗り越え、戦後の混乱期、昭和の高度成長期、バブル期を越え、人や鐘ヶ淵の地名を冠した企業の栄枯盛衰を見届けてきたこの街も平成の世では東京スカイツリー開業に伴い、墨田区内循環バスの運行が始まり、

墨田区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん、すみりんちゃん」

区内循環バス「すみだ百景 すみまるくん、すみりんちゃん」 墨田区公式ウェブサイト
東京スカイツリーの足元にある押上駅を起点に墨田区内を走る3ルートとも平日・休日を問わず始発は朝7時台から、終発は夜8時台まで、15分間隔で運行しています。お得な一日乗車券や最新情報はぜひ以下のサイトでご確認ください。
https://www.city.sumida.lg.jp/kurasi_guide/jyunkanbus/index.html

また、古くからこの街に住んでいる人々と新築マンションも増え、新しく住民になった人々との間で、NPOを中心にした新しいプロジェクトが立ち上がり、さまざまな試みがはじまっています。

「墨東まち見世」アートプラットフォーム

http://www.bh-project.jp/search/tabid/62/pdid/235/Default.aspx

特定非営利活動法人向島学会

http://www.mukojima.org/

徒歩圏内が広い我が家は(苦笑)これまで鐘ヶ淵、向島周辺を数多く歩いてきました。その記録の中から街の歴史を今に伝える史跡を中心にお届けします。

歌川広重「名所江戸百景」綾瀬川鐘か淵


東武スカイツリーライン堀切駅から南西方向に歩きはじめると、

頭上に首都高速道路向島線、左手に荒川、右手に旧綾瀬川の流れが見えます。

カネボウ発祥の地

下の写真の左に見える白い建物は現在花王の物流基地です。

この地は鐘ヶ淵紡績(鐘紡)発祥の地であり、隅田川最北の橋、墨堤通りに架かる綾瀬橋の南側(写真手前)には鐘ヶ淵紡績東京工場がありました。

経営不在―カネボウの迷走と解体

経営不在―カネボウの迷走と解体

戦前は世界有数の紡績会社であった名門企業・鐘紡もいまでは「カネボウ化粧品」というブランド名が残るのみ。企業の栄枯盛衰を感じます。

鐘ヶ淵、地名の由来


この地をもし再開発することがあれば、どういう姿になるのか、巨大な敷地だけに興味津々です。

隅田山多聞寺

多聞寺は隅田川七福神の際にこれまで二度ご紹介してきました。

  1. 隅田川七福神めぐり2010(向島から鐘ヶ淵へ)
  2. 隅田川七福神めぐり2011(鐘ヶ淵から向島へ)


ここからスタートするか、ここをゴールとするか、好みが分かれるところですが、いずれも私にとっては江戸市中に設定された七福神巡りで最も魅力を感じるウォーキングコースです。

まずこのお寺の魅力は関東大震災、東京大空襲で甚大な被害を受け、焦土と化した墨東にあって、被害を受けずに残った江戸時代、明和九年(1772)に建てられた美しい山門にあります。

多門寺山門


木組の一部に朱色が残っていて、当初は朱塗りで瓦屋根をいただいた四脚門だったようで、享和三年(1803)の火災、安政の大地震(1855)などの被害を受け、茅葺に変えられたと多門寺の説明にあります。

六地蔵坐像

また六地蔵坐像は1713年から1716年に制作されたものです。


近年ご尊顔を修復した一体もまた穏やかな表情です。

お正月の混雑ぶりとは違い、今年は夏から秋にかけて、三度訪問しましたが、普段は静かな境内です。

映画人の墓碑



鏑木清方随筆集

鏑木清方も随筆集のなかで

七福神は向島のがこれまた場所がそれらしく、長堤をぶらぶら歩いて綾瀬の毘沙門天まで行き着くと、茜さす日も傾いて、夕日が黒く見える時分になる

と書いています。

綾瀬の毘沙門天とは現在の足立区綾瀬ではなく、旧綾瀬川、隅田川最北に架かる綾瀬橋の近くにある毘沙門天、多聞寺のことを指しています。現在の地名でいうと墨田区墨田五丁目です。

鏑木清方随筆集 (岩波文庫)

鏑木清方随筆集 (岩波文庫)

鏑木清方―逝きし明治のおもかげ (別冊太陽 日本のこころ 152)

鏑木清方―逝きし明治のおもかげ (別冊太陽 日本のこころ 152)

テレビ東京「出没!アド街ック天国」/鐘ヶ淵

この放送回は鐘ヶ淵お散歩に役立つ情報満載です。

古くからこの街をよく知る人はご存知かと思いますが、飲食店も実力派揃いです。
是非「アド街」のサイトに残るデータをチェックしてみてください。

さまざまな歴史を持つ鐘ヶ淵。いまは静かな住宅街ですが、古い商店街にも昭和を感じる渋い味わいがあり、住宅が立ち並ぶなか狭い路地も花木が所狭しと育てられ、花好きの墨東の伝統は今日までしっかりと受け継がれています。

墨東花暦(2013夏から秋へ)

岩煙草

芙蓉

ムシトリナデシコの群生

藤袴とアサギマダラ

数千キロも旅するといわれる珍しい蝶、アサギマダラが墨東に飛来してきました。

今回から数回に分けて、墨東エリア、鐘ヶ淵から向島界隈散歩を特集してみたいと思います。
お時間のある時にお越しいただければ幸甚です。
それではまた。