「成田屋!」という威勢の良い掛け声、沸き起こる喝采。歌舞伎の屋号、その始まりともいわれる名跡「市川團十郎」の屋号であります。
初代市川團十郎の父・堀越重蔵は成田山新勝寺に近い下総国埴生郡幡谷村に住んでいて、新勝寺とは少なからず縁があったといいます。
子宝に恵まれなかった初代市川團十郎が、父由縁の成田山に参籠して、世継ぎ誕生を不動明王に祈願をしたところ、見事その翌年、元禄元年 (1688) に二代目團十郎を授かります。
二代目はすくすくと健やかに成長したので、初代團十郎はこれに感謝して、元禄八年 (1695) 山村座で『成田不動明王山』を上演します。
当時、正義の若武者が豪快に立ち回る「荒事」は江戸庶民の絶大な人気を博し、荒事の創始者初代市川團十郎の文字通り千両役者の活躍によって、見事大当の演目となり、舞台には銭10貫もの賽銭が投げこまれ、大向うからは「成田屋!」という掛け声が掛かったといいます。
成田屋市川團十郎、市川海老蔵公式webサイト
さすが歌舞伎の名門市川宗家、十二代も引き継がれた名跡、その歴史にふさわしい内容充実のウェブサイトです。
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今回は成田山新勝寺を歩く歴史散歩をお届けします。
JR、京成電鉄と電車でのアクセスも都心から一時間足らずと便利な国際都市成田。成田空港も近く、国内外の観光客で賑わう門前町です。2011年は東日本大震災の影響で参拝客の数も957万人と10%も減少しましたが、初詣では明治神宮に次ぐ全国第二位、この十年でみると年間1,000万人を超える参拝客を誇る名刹です。
JR、京成電鉄共に駅から徒歩15分程度ですが、なんといっても江戸時代から栄えた「成田詣」。江戸から十七里=67km、往復三泊四日の成田詣は「講」を組織して歩いて旅をする人たちも多く、街道が整備され、浮世絵などでも風景画の隆盛もあり、旅行の大ブームが起こります。
「講」は神社仏閣それぞれの信仰のために組織されましたが、なかでも成田詣はいわば現在でいうところの団体旅行の元祖ともいえる存在です。門前には宿、土産物屋が軒を連ね、参拝客が溢れたといいます。現在も60件ともいわれる「成田のうなぎ」と呼ばれるほど有名な鰻屋さんやさまざまな老舗が元気で、全国有数の集客力を誇る門前町の参道、ゆっくり歩きましょう。
川豊本店
成田のうなぎといえば、この老舗、参道を漂う鰻をたれにつけて焼く香ばしい匂い。この誘惑には勝てません。紅葉よりまずは鰻ということで。いただきました、うな重、肝吸い、お新香盛り合わせ。二階の風情あるお座敷で秋の陽射しに包まれながら、いきなり休憩(苦笑)です。
- ジャンル:うなぎ
- 住所: 成田市仲町386
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- (写真提供:しゅんぼん)
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仁王門、大提灯
うおがしの文字が勢いを感じさせてくれます。
仁王門を振り返ると、秋のラインライトが旅愁を誘います。
階段を上りきると、菊が見事に飾られた大本殿、三重塔、鐘楼と配置された広々とした境内が迎えてくれます。
まずは大本殿で心静かに参詣を済ませて、大本殿裏手に回ります。ほとんど人影少ない裏手に大日如来像と不動明王の石仏があります。ここでゆっくり拝みます。
釈迦堂を左に見ながら、
天保年間、江戸幕府の奢侈禁止政策によって、江戸追放の憂き目にあった七代目市川團十郎が身を寄せ、建立した額堂へ。
光明堂
大日如来をまつる光明堂(重要文化財)は、釈迦堂の前の成田山の本堂で元禄14年(1701)に建立された貴重な建物です。毎年5月に光明堂の前で、薪能が催されます。
光明堂の右手には清滝権現の社殿が、光明堂裏には奥の院があります。
奥の院から平和大塔へと向かいます。
平和大塔
1984年、弘法大師(空海)1,150年御遠忌を記念して、あらゆる宗教、宗派を越えて、世界の平和を祈る大塔が建てられ、ローマ教皇をはじめ、各国大統領(当時)、国王からの直筆の平和へのメッセージが納められています。西暦2434年に開封される予定です。
ここで成田山の縁起について、確認してみましょう。
開山縁起とご本尊(成田山新勝寺)
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- http://www.naritasan.or.jp/syoukai.html(成田山新勝寺公式webサイトから引用)
開山縁起
成田山新勝寺は、天慶3年(940年)寛朝大僧正によって、開山されました。 寛朝大僧正は、朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け、弘法大師が敬刻開眼された不動明王を奉持し難波の津の港(現大阪府)より海路を東上して尾垂ヶ浜(千葉県山武郡横芝光町)に上陸、更に陸路を成田の地に至り、乱平定のため平和祈願の護摩を奉修し成満されました。大任を果たされた大僧正は再び御尊像とともに都へ帰ろうとしましたが不思議にも御尊像は磐石のごとく微動だにしません、やがて「我が願いは尽くる事なし、永くこの地に留まりて無辺の衆生を利益せん」との霊告が響きました。これを聞いた天皇は深く感動され、国司に命じてお堂を建立し「新勝寺」の寺号を授与し、ここに東国鎮護の霊場として「成田山」が開山されました。
ご本尊
成田山新勝寺の御本尊不動明王は、平安の昔、瑳峨天皇の勅願により、弘法大師が一刀三礼敬虔な祈りを込めて敬刻開眼された御尊像です。成田山は、弘法大師が自ら敬刻開眼された御尊像を御本尊とし、大師が伝来され奉修された真言密教の護摩法の正系を伝えています。しかも開山以来1070年の間、護摩供の香煙は一日たりとも絶えることなく、その輝かしい法灯を護持継承し、わが国不動尊信仰の随一祈願道場として、数多の信仰をあつめています。その霊験利益は数限りなく、今日では年間1000万余の全国信徒の参詣をお迎えしています。
当初は東国鎮護の霊場として開山した成田山、鎌倉、室町、戦国時代には寂れたこともあったそうです。しかし長い雌伏の時を超え、歌舞伎でのPR、また成田山が深川永代寺で不動尊を出開帳をしたことで江戸庶民の成田山への関心は、いやが上にも高まっていきました。いつしか成田山詣が江戸庶民の憧れになったのです。初めは花柳界や豪商など一部の豊かな層に限られていましたが、江戸から成田まで17里、三泊四日の楽しい遊山道中だったこともあって、文化文政期(1804〜1829)から一般庶民の間にも成田山参詣が広がっていきました。
なるほどこれが全国有数の参拝客を誇る今日、隆盛の基礎となったのですね、と真言宗智山派大本山、成田山新勝寺の歴史を確認してみました。
成田山公園紅葉まつりコレクション2012
清滝権現の社殿右手から鬱蒼と茂る林の中へ石段を降りていくと、雄飛の滝が岩をうち、渓谷美が展開しています。ここから先が成田山公園です。色づきはじめとはいえ、鮮やかな紅や黄色の共演を集めてみました。
秋は夕暮、残照の大本堂と釈迦堂、平和大塔をメモしながら、
「出世の階段」を急ぎ足で上ってみました。
出世稲荷、咤枳尼天堂(だきにてんどう)です。赤坂の豊川稲荷別院と同じ仏さまです。それではバーチャル出世祈願をどうぞ。
初詣といえば、成田山新勝寺。ですが、人出の多さを避け、紅葉シーズン最後の12月初旬は参詣の狙い目かもしれません。書道美術館や公園散策、参道をのんびり歩いて、航空会社勤務の外国人の集まるお店などいろいろのぞいてみると、疲れも忘れ、歩く2万歩越えになりました。
本日のBGM二題
中村由利子「Smooth Jazz」「Twilight Winds」
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クロスオーバーイレブン(津嘉山正種)
鰻の話、スクリプトがとても印象的な放送回の貴重な録音です。