夫婦写真散歩のススメ

歩く速さで、街の新陳代謝や季節の移り変わりをゆっくり、丁寧に味わってみましょう。

西新井大師、荒川土手散歩

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荒川土手を歩く

風薫る五月。初夏を感じさせる陽射しとひんやりとした乾いた東風。朝晩は少し寒いくらいで、五月の墨東はさわやかな気候が続いています。

定点観測しながら、写真を撮り、整理していると、2013年の花暦は10日程度早く進んでいることがよく分かります。

史跡、公園、神社仏閣、植物園をはじめ、路地をひとつ入ると、下町では家々で育てられている鉢植えが所狭しと置かれ、花壇も大切にされています。

江戸時代、利根川の東遷、荒川の西遷事業


利根川の東遷と荒川の西遷事業が成功していなかったとしたら、東京の風景はさぞや殺伐としたものになっていたでしょう。

徳川家康は江戸入府後、すでにあった河川の付け替えをすることで、洪水や灌漑などの治水事業を進めるとともに、船による物資輸送の体系も整備しました。この河川の付け替え事業は「利根川の東遷、荒川の西遷」と呼ばれています。

以後、長い時間を掛け、年々荒川土手周辺の環境も整備され、お散歩に、自転車でポタするにもとても清々しく心地よい場所になってきました。

今日はそんな荒川周辺の散歩とまいりましょう。

木根川橋周辺から望むスカイツリー

荒川土手から見える東京スカイツリーもすっかり風景に馴染んできました。もうすぐ開業一周年です。

スカイツリーの防鳥ネット

アップで写してみると、防鳥ネットも良く見えます。

ユリカモメの大群

荒川の野球グラウンドで羽を休めるユリカモメの大群。

一斉に飛び立つユリカモメ。


すると青空に浮かぶ雲まで鳥にみえてくるから不思議です。

堀切菖蒲園(大改修前の写真)

荒川に架かる堀切橋近くにある堀切菖蒲園の藤。白藤、紫の藤が揃って咲き競うような光景です。


記憶の中にある時計の針を戻せば、春には桜や水仙。

りんごの花


街角のあちこちで見られる園芸品種の数々。下町の花好き、植物好きは江戸時代から受け継がれた庶民の伝統文化です。

下町の花好きは江戸時代からの伝統




風に揺れる赤いマンサク

花壇で育てられたチューリップ。


さまざまな光景をメモしながら、発見と季節の移り変わり、変化を楽しみます。

西新井大師

花が大切に育てられている東都の古刹といえば、何度も訪ねた関東三大師のひとつ、西新井大師。

東京メトロとの相互乗り入れで便利な東武スカイツリーラインに乗れば、アクセスもスムーズ。

今回は東武牛田駅からひょいと電車に乗り、大師線という西新井駅からわずか一駅、区間1kmを結ぶ参拝専用の電車に乗ってみました。

駅に着くと寺社を拝見する際は正面からの鉄則に従い、環七通りへと回り込み、参道を歩き、立派な山門から境内に向かいます。

西新井大師境内


正式名称は五智山遍照院總持寺。真言宗豊山派のお寺です。

平安時代、鎌倉時代から伝わる寺宝は国宝や重要文化財に指定され、江戸時代には「お大師さま」と江戸庶民からも愛され、信仰と尊崇を集めてきた由緒あるお寺です。

西新井大師三解脱門(山門)

その総檜造二層入母屋造の三解脱門(山門)も花祭りの頃には賑やかな装いに。

手水舎

参詣の際、まず訪れる手水舎もこんなユニークなデザインです。

梅や寒桜の季節に訪問すれば、


艶やかな花を背景に露座の仏像を拝み、

塩地蔵

イボ取りに霊験があると古くから評判の塩地蔵にもご挨拶。

西新井大師本堂

そして立派な本堂です。

西新井大師(五智山遍照院總持寺)の歴史

五智山遍照院總持寺の歴史を遡ってみると、空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、このあたりを通った際に、悪疫流行に悩み苦しむ人々たちから相談を受けます。

空海はその人たちを救うために本尊である十一面観音像を彫り、天長3年(826)に寺院を建立したことがはじまりです。そこで空海が悪疫退散のため、二十一日間祈祷を行ったところ、枯れ井戸から清らかな水が湧き出し、地元の人々は救われたと寺伝にあります。

空海が建立したお堂の西にその井戸があったことから「西新井」の地名が起こります。

中世にはこのあたりは「渕江郷」と呼ばれ、戦国の世では小田原北条氏の家臣によって治められていました。

室町時代には三度も火災に遭いましたが、本尊は無事だったため「火伏の大師」と呼ばれ、江戸時代に入ると、お寺も徳川家康から学問所として認められ、所化衆と呼ばれる学僧を有した学識有力寺院としても発展します。

そして、周辺は新田開発が盛んに行われ、江戸中期には祈願寺、参詣寺として、縁日をはじめ、さまざまな行事も年間を通じて盛んに行われ、本堂も十四間四方の総檜造と立派になり、栄えたといわれています。

田山花袋著「東京と近郊」

明治、大正、昭和初期を生きた作家・田山花袋によると「参詣客が非常に雑踏して、門前殆ど立錐の余地がないほどである」と彼の著作「東京と近郊」のなかでその繁栄ぶりを語っています。

東京百年散歩 田山花袋「東京とその近郊」編

東京百年散歩 田山花袋「東京とその近郊」編

東京近郊 一日の行楽 明治大正ものセレクション (現代教養文庫ライブラリー)

東京近郊 一日の行楽 明治大正ものセレクション (現代教養文庫ライブラリー)

その総檜造りの立派な本堂も惜しいことに昭和41年(1966)火災によって焼失します。その当時を知るお年寄りに話を伺うと、さまざまな出火に関する噂もあったようですが、本堂は五年後、昭和46年(1971)に再建され、難を逃れたご本尊とともに現在に至っています。

西新井大師公式ウェブサイト

西新井大師の立派な公式サイトでいちど俯瞰でご覧ください。

総本山の奈良の長谷寺が花の寺であるように、西新井大師も花木に恵まれ、特に牡丹は江戸時代文化文政年間から名所として知られていたと多くの文字記録に残ってます。

西新井大師牡丹園

梅、寒桜のあとには藤、そして現在六ヶ所もある牡丹園では大輪の花が咲き競います。





グッと寄ってみると、牡丹はファンタジックです。


現在の本堂に向かって左手は池泉回遊式の庭園で、歩いていて気持ちの良い場所です。

三匝堂(栄螺堂)

江戸時代に流行した仏堂の一種で、サザエ(栄螺)の殻のような堂内を初層から三層まで巡って、諸仏を拝する構造になっている大変貴重な都内で唯一の遺構です(現在非公開)。

弘法大師立像



お大師さまの前にはお花畑が広がります。

弁天堂



十三重宝塔



権現堂、稚児大師像、奥の院、出世稲荷とお堂のまわりを一周し、境内の露天商をのぞき、ゆっくり参拝すると、長い長い歴史のなかで庶民の祈りという文化がいまもなお受け継がれていることを感じます。

ふたたび山門をくぐり、参道を環七方向へ。

足立区都市農業公園

この日は一気に西へ、足立区都市農業公園に向かいました。
モッコウバラのアーチが清々しく、来園者を迎えてくれます。

足立区都市農業公園公式サイト

足立区都市農業公園の入園料は無料です。

都市農業公園は「自然と遊ぶ、自然に学ぶ、自然と共に生きる」をテーマに、春は五色桜やチューリップ、秋にはコスモスなどの四季折々の花を楽しむことができます。自然とふれあう機会として水田や畑を利用した農業体験教室を実施し、ハーブ教室や植物に関する講習会、人と自然の共生館では、身近な自然や生き物について楽しみながら学ぶことができます。

主な施設として、都市農業交流館、人と自然の共生館(温室棟)、工房棟、レストハウス「みはらし茶屋」、古民家、長屋門、江北の五色桜資料展示室、昔の農機具展示室、ボランティアルーム、遊具広場、駐車場、河川敷花壇、芝生広場、畑、田、梅林、ハーブ園等があります。

ランドスケープアーキテクト100の仕事

ランドスケープアーキテクト100の仕事

足立区都市農業公園、花景色






するとあっという間に閉園時間がやってきて、再訪を心に誓いつつ、荒川土手に出ます。

荒川土手夕景

埼玉県川口市との境からひたすら荒川土手を南へ歩きます。

ベンチで一休みしているときに野鳥をメモ。

日も傾き、早歩き、お散歩というよりトレーニングの様相(苦笑)。

江北JCT


扇大橋

このあと、扇大橋を渡り、

一気に北千住を抜け、京成関屋駅へ。
この時点で37,000歩を越え、電車に乗って帰宅。
ちなみに西新井大師のお土産は定番のこれ↓でした。

今週のお題「2013年のゴールデンウィーク」第ニ弾は総歩行距離たっぷり30kmの一日となりました。

本日のBGM

中村由利子「Fly to a heavenly world」


微笑みの軌跡

微笑みの軌跡

ピアノソロ 中村由利子/微笑みの軌跡~The Place to Return~ (ピアノ・ソロ)

ピアノソロ 中村由利子/微笑みの軌跡~The Place to Return~ (ピアノ・ソロ)

目次:本日の記事を振り返ります