目黒川歴史散歩
白金台から続く台地は目黒駅を南端に、一気に南へ下ります。
その非対称形の谷間を目黒川が流れています。
「この谷は江戸から大正にかけて都心と郊外を分ける自然的境界となっていた」と日本地名大辞典に書かれていますが、
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高層ビルが林立する現在からはまったく想像もつきませんが、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれているように江戸時代の目黒川周辺は江戸市民の日帰りで楽しめる行楽地でもあり、江戸後期、嘉永期の古地図でも確認してみると田畑が広がる農村地帯でもありました。
歌川広重「目黒太鼓橋夕日の岡」
「江戸の三富」と呼ばれた幕府公認の富くじ興行で絶大な人気を博した「目黒不動尊」があり、その周辺には門前町が形成されます。
江戸市民は参詣と行楽をセットにして楽しみ、名物のタケノコや目黒飴を土産にしたり、後世では落語でも有名な「目黒のさんま」の咄が誕生したりと、門前町としての繁栄も長く続きます。
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今回は目黒川周辺を歩く歴史散歩をご紹介します。
天台宗松林山大円寺
大円寺は出羽三山のひとつ湯殿山で修験道に励んでいた大海法印という行者が江戸時代寛永期に大日如来をまつる堂宇を建立したことにはじまります。
大円寺の歴史
目黒区教育委員会掲示によると
この寺は「松林山大円寺」といいます。寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切り開き、大日金輪を祀って祈願の道場を開いたのがその始まりであると伝えられています。
本寺には“生身の釈迦如来”と言われている木造「清涼寺式釈迦如来立像」(国指定文化財)、「木造十一面観音立像」(区指定文化財)、徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天像」(山手七福神の一つ)などが安置されています。
明和9年2月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出しましたが、その供養のために造られた釈迦三尊・十六大弟子、五百羅漢の像等の「大円寺石仏群」(都指定文化財)が建てられています。
また阿弥陀堂には「木造阿弥陀如来三尊像」(区指定文化財)や八百やお七の火事にまつわる西運上人の木像、お七地蔵などが祀られています。境内には「行人坂敷石石造道供養碑」(区指定文化財)、「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」(区指定文化財)、西運の墓、などがあります。江戸の面影を残している行人坂の景観や老樹古木のしげる境内は緑の自然と古い歴史が薫る静かな美しい浄域を守っています。
恋草からげし八百屋お七物語異聞(駒込吉祥寺、大圓寺、円乗寺)
このお寺に伝わる八百屋お七の話は、恋人吉三が出家したのち、西運という僧名を名乗り、行人坂や目黒川の改修に従事したと伝えられています。
目黒区による「八百屋お七」解説
目黒区による解説では以下のような説明があります。
西運は明王院境内に念仏堂を建立するための勧進とお七の菩提を弔うために、目黒不動と浅草観音に一万日日参の悲願を立てた。往復十里の道を、雨の日も風の日も、首から下げた鐘しょうをたたき、念仏を唱えながら日参したのである。かくして27年後に明王院境内に念仏堂が建立された。しかし、明王院は明治初めごろ廃寺になったので、明王院の仏像などは、隣りの大円寺に移された。
江戸三大火事「行人坂火事」
このお寺が歴史に大きく名をとどめることになったのは江戸三大火事のひとつと呼ばれる大惨事、明和九年(1772)の「行人坂火事」の火元として諸書に記述されていることがきっかけになります。大惨事を起こしたことから江戸幕府から幕末まで再建することを許されません。
「江戸名所図会」には「この寺はいまは亡びたり」とあり、寺域跡には火事の犠牲者を追悼するために造られた五百羅漢の石仏が描かれています。
1848年(嘉永元年)薩摩藩主島津斉興公の帰依を得て、その菩提寺として再建されることになり、明治時代に入り隣接した明王院がこの寺に統合され、諸堂寺観を整えていったそうです。
現在も残されている石仏群は見事です。
目黒不動尊
行人坂を下り、目黒川を渡り、西へ向かうと、「この地は遥かに都を離るるといへども、詣人常に絶えず」と『江戸名所図会』にも記されるほどの隆盛を誇った「目黒不動尊」があります。
比翼塚(平井権八/小紫)
正面に目黒不動尊の仁王門をみて、左手に平井権八(歌舞伎では白井権八という役名)と小紫の菩提を弔う「比翼塚」が建っています。
鳥取藩士の平井権八は父親を侮辱した家中の者を惨殺して、江戸に隠れ、吉原の遊女小紫と馴染み、通い詰めます。しかしお金に困窮した権八は辻斬り=強盗殺人を重ね、囚われの身となり、鈴ヶ森の刑場で磔にされます。
それでも権八を慕う小紫は目黒不動尊の門前西側にあったといわれている普化宗東昌寺に葬られた権八の墓の前で自害して果てます。この二人を悼んで、せめてあの世で仲良く一緒に暮らせるように比翼塚が建てられますが、虚無僧寺とも呼ばれた東昌寺は廃寺となり、塚だけが残りました。
権八小紫物と呼ばれ歌舞伎や浄瑠璃の題材として人気を博し、後世においても落語や1950年代後半には映画、テレビドラマの題材としても取り上げられ、権八を勝新太郎さんや津川雅彦さんが若き日に演じています。
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天台宗泰叡山瀧泉寺(通称:目黒不動尊)境内写真散歩
開堂時間は午前6時30分
www.tendaitokyo.jp
江戸幕府三代将軍徳川家光の篤信により、寛永十一年(1634)頃には末寺も含めて50を超える諸堂を有する大伽藍を誇った目黒不動尊こと天台宗泰叡山龍泉寺。
泰叡山瀧泉寺(目黒不動)の歴史
目黒区の説明によると
泰叡山瀧泉寺(目黒不動)(天台宗)は寛永寺の末寺で、目黒不動尊縁起によれば、「慈覚大師が少年時代、現在の地に宿をとったとき、神人の夢をみた。その後大師が青年になり、唐に留学して、ある日長安の青竜寺を訪れ不動明王を拝んだところ、それが少年のころ霊夢に感じた神人と同じ姿であった。大師は奇異に感じ、帰朝後さっそく不動尊像を彫刻し、これを目黒の地に安置した」とある。
目黒不動尊縁起によれば「滋覚大師が大同3年(808年)比叡山に向かう途中目黒で宿をとった。その時、不動明王の夢を見たのでその像を彫り、安置した。それが寺の始まりである。」という。
その後大師は天安2年(858年)に堂宇を造営し、自らの手で「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久」を棟牘に記した。そこから寺号を「瀧泉寺」と称するようになり、また、貞観2年(860年)に清和天皇より「泰叡」の勅額を賜わり、山号を「泰叡山」と称するようになった。
とあります。
泰叡山瀧泉寺(目黒不動)境内案内図
画像をクリックして大きな画像でご覧ください。
仁王門をくぐると、目黒不動尊は左右に広がる平地に建つ諸堂と中央男坂を上り、高台にある本堂などで構成されています。
左へ進むと丘の斜面に勢至堂が建ち、
前不動堂
独鈷の滝の左手にあるのが前不動堂。本尊は不動明王立像で、庶民信仰の便を図ったものとも、写真奥に少しだけ見える本堂に祈願するための徳を積む修業の場であったともいわれています。
昼なお暗き緑陰の下、少々読みにくいかもしれませんが、画像をクリックして大きな画像でご覧ください。
傾面地に茂る常緑樹をくぐるように上る五十段あまりの「男坂」の景色は、広い寺域にあって、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
男坂
目黒区教育委員会による説明をいま一度確認してから本堂に向かいましょう。
天台宗泰叡山瀧泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。
江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受けました。
また、江戸五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わいました。さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中感応寺(現天王寺)と並んで「江戸の三富」と称されました。
境内の古い建物は、戦災でその大半が焼失しましたが、「前不動堂」(都指定文化財)と「勢至堂」(区指定文化財)は災厄を免れ、江戸時代の仏堂建築の貴重な姿を今日に伝えています。
その昔、境内には「銅造役の行者倚像」、「銅造大日如来坐像」(ともに区指定文化財)があり、仁王門左手の池近くには「山手七福神」の一つの恵比寿神が祀られています。
裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には甘藷先生として知られる青木昆陽の墓(国指定史跡)があります。(目黒区教育委員会)
大日如来坐像
蓮華座に結枷趺坐しているこの坐像は宝髪、頭部、体躰、両腕、膝等十数ヶ所に分けて鋳造し、それを寄せて一体とした吹きよせの技法で造られています。
総高385cm、座高281.5cm、頭長は121cmで、体躰にくらべ頭部を大きく造るのは大仏像共通の特色であり、面相も体躰も衣文表現もよく整っています。
現在は露座となっていますが、「江戸名所図会」の目黒不動堂の挿図より、江戸時代には堂舎の中にあったことがわかります。
台座の蓮弁には開眼の年、入仏開眼供養の際の導師や僧侶の歴史が刻まれると共に、多数の施主名と供養者名が見えることから、大衆による造像だったことがうかがえます。また、刻銘から制作年の天和三年(1683)と制作者が江戸に住む鋳物師横山半右衛門尉正重であることがわかることも貴重です。
自然教育園<夏>
水生植物園
本日のBGM
ステファン・グラッペリ&ミシェル・ペトルチアーニ「These Foolish Things」
Stephane Grappelli & Michel Petrucciani「These Foolish Things」
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