夫婦写真散歩のススメ

歩く速さで、街の新陳代謝や季節の移り変わりをゆっくり、丁寧に味わってみましょう。

出雲大社、日本神話の歴史を学ぶ旅(島根県出雲市)

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縁結びの神様、国造りの神として知られる大国主大神を祀る出雲大社(いずもおおやしろ)。

出雲大社、平成の大遷宮

現在の本殿は延享元年(1744)に造営されたもので、その後、文化6年(1809)、明治14年(1881)、昭和28年(1953)と3度にわたり遷宮・修造が行われています。そして今年、平成25年(2013)60年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われました。

遷宮とは何か?

遷宮とは社殿の新築、修造などにあわせ、ご神体を新しい本殿に移す「神様のお引っ越し」です。

その目的は大きく分けて三つあるといわれています。

  1. 木造建築の建物を維持していくため
  2. 社殿建築など様々な技術を継承していくため
  3. 神社は清浄であることが必要なため、社殿がよみがえることで、神様の威力が甦る

八百萬の神々が集う日本神話のふるさと、出雲大社を今回はゆっくり歩きます。

日本神社建築のなかでも、壮麗さ、神殿の規模といい、「天下無双の大廈(たいか)」と称された歴史を引き継ぐ大社だけに参拝する日は日の出とともに身を清め、行動を開始し、水田に出て、地平線から姿を見せた朝露を輝かせる陽射しから撮影を開始しました。

体を目覚めさせるための早朝散歩で夏の花をメモし、サラサラの心地よい汗を掻いて、気合い十分。


午前6時30分過ぎ、岡山県倉敷市から出雲へ車で向かいます。

微風快晴、絶好のドライブ日和。

最初の休息は蒜山高原SAで。朝7時台にも関わらず、ほぼ満車状態で涼しい高原のSA(サービスエリア)は活気に溢れていました。

蒜山高原SAで島根県の地図をメモし、出雲へ向かいます。

本日のBGM PART1

Bill Evans「Someday my prince will come」


PORTRAIT IN JAZZ

PORTRAIT IN JAZZ

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倉敷から出雲まで自動車で所要時間ちょうど3時間。

まずは出雲大社近くの道の駅「吉兆館」に立ち寄ります。

道の駅大社ご縁広場吉兆館

出雲観光の魅力を語る各種無料パンフレットやフリーペーパーの充実ぶりに感動しつつ、

館内の展示をじっくり拝見します。

平安時代には高さ16丈(約48m)もある日本一の大建築だったといわれる神殿の模型を拝見し、そのスケールと精巧さに感動します。

出雲大社の建築スケール

建久元年(1190)春、諸国遍歴の旅に出た平安時代後期の代表的歌人でもある寂蓮法師は、出雲の地を訪れ、大社に詣でた際に、

やはらぐる光や空に満ちぬらん
雲に分け入る千木の片そぎ

と詠み、「この世の事とも覚えざりける」と天高く千木(ちぎ)を伸ばした出雲大社の威容に深い感動を受けたと記録に残っています。

また平安時代をさらに遡ると出雲大社の建築スケールを知るにあたって注目すべき文章が残っています。

天禄元年(970)に源為憲が著した『口遊(くちずさみ)』です。この中に、当時の建造物の大きさを比較して、「雲太、和二、京三」という記述がみられます。

これは、出雲大社の本殿が第1位、奈良にある東大寺大仏殿が2位、そして京都、平安京大極殿が3位という意味です。

この時代に巨大高層建築があったわけですから、はじめて見た人はさぞや驚き、圧倒され、感動したことでしょう。また現代から想像してみてもそれを成し遂げた当時の建築技術も驚愕に値します。

さて、話を戻し、吉兆館の展示をみることにしましょう。

古代から上古の日本史を飾る人物たちを模した人形も迫力満点。


軽いストレッチと水分補給を行ったあと、いざ参拝へと向かいます。

出雲大社大鳥居

大鳥居のそばには

出雲阿国像

出雲大社の巫女となり、文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回した歌舞伎の祖ともいわれる女性芸能者、出雲阿国の像や

国引き神話のモニュメント

国引き神話の世界を描く大きなモニュメントなど、

出雲大社神門通り

神門通りに出ると、気分も盛り上がってきます。

堀川と宇迦橋

堀川に架かる宇迦橋を渡り、


堀川と宇迦橋について、その歴史を確認します。

一畑電車出雲大社前駅

一畑電車出雲大社前駅をメモし、

出雲という地名の由来と日本最初の和歌を思い浮かべる光景に出会います。

出雲という地名の由来と日本最初の和歌

『古事記』に素戔嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して、助けた櫛名田比売(くしなだひめ)命との新居の宮を造る前に詠まれた日本最初といわれる和歌が収録されています。「出雲」という地名の由来はこの和歌だと伝えられています。

八雲立つ 出雲八重垣、妻籠みに
八重垣作る その八重垣を

参道をメモしながら歩いていると、


勢溜(せいだまり)の鳥居

勢溜(せいだまり)の鳥居に到着。

かつてここには大きな芝居小屋があり、多くの人を集めたといいます。
そのため人の勢いが集まり溜まるところということで、勢溜の名が付いたのだそうです。


ここで、ひとまず出雲大社の歴史を確認してみましょう。

出雲大社の創建

出雲大社、その歴史は古く『記紀』の時代に遡ります。
『古事記』では天之御舎(あめのみあらか)と記され、『日本書紀』には天日隅宮(あめのひすみのみや)、『出雲國風土記』では天日栖宮(あめのひすみのみや)と記されています。

伝承の内容や大社の呼び名は様々ですが、共通していることは、天津神の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということです。それはすなわち、出雲大社の創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであると考えられます。
出雲大社 (楽学ブックス)

出雲大社 (楽学ブックス)

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心を鎮めて、小高くなった勢溜の鳥居から、いよいよ日本の神社仏閣ではたいへん珍しい「下り参道」へと入ります。

下り参道

祓社

心身の穢れを祓い清めてくれる四柱の神々が祀られています。
参道に入る前に心身を清めようとする人々の列が出来ます。

浄めの池

祓社の社殿に向かって左手奥にひょうたん型の池があります。美しい池にこころもホッとなごみます。

素鵞川と祓橋

出雲大社の後背にそびえる八雲山から流れ出る清流、素鵞川。


祓橋を渡ると松並木の参道に出ます。

銅鳥居

しばらく歩くと銅鳥居越しに拝殿が見えてきます。

銅の鳥居は長州藩主毛利綱広の寄進で銅製の鳥居として日本最古といわれています。

その銅鳥居手前には、

ムスビの御神像(鋳物)

大国主大神が向かって右手に姿を表します。

大国主大神がまだ若く修行中であったころ、
日本海に立つ荒波の上から幸魂奇魂(きみたまくしみたま)が現れ、

「ムスビの大神」になられたシーンを表しているとのこと。

御慈愛のご神像

その反対側、向かって左手には大国主大神が登場する神話で最も有名な「因幡の白兎」を表現した傷ついたウサギに手を差し伸べる姿が像があります。

出雲大社聖域

大混雑の手水舎で清めてから、いよいよ神域の中枢へと向かいます。

拝殿


日本最大級の注連縄は拝殿と神楽殿に張られていますが、日本全国にある他の神社とは正反対の張り方をしています。


拝殿での参拝を済ませてから、向かって右手に進みます。

神祜殿

八足門

一般の参拝は八足門までですが、

瑞垣内には修造が終わり、

平成の大遷宮関連の神事も一段落したご本殿が姿を表します。

御本殿

屋根の上には両端に交錯する千木(ちぎ)、その間を三本の勝男木(かつおぎ)。
鬼板、懸魚、破風板も美しい「大社造り」の典型です。

東十九社

荒垣内でご本殿の東西に相対する社には神在祭の期間中、日本全国に散らばる神々が宿泊されます。

ゆえに滞在中の七日間はすべてこの扉が開かれます。

素鵞社(摂社)

ご祭神は素戔嗚尊。ご本殿の背後、緑深き一段高い場所に鎮座し、寛文年間の造営で1667年に現在の場所に遷座されました。

彰古館


本殿左手に回り、氏社や西十九社にご挨拶。



お守り所方向を16:9の画面でメモ。

本殿、天高く結ぶ千木越しに見える夏空と入道雲。

おみくじが結びつけられた御神木も一枚。
ちなみに出雲大社のおみくじには吉凶がありません。
神様からのメッセージを読み解くことが大切なのだそうです。

出雲大社神楽殿

続いて神楽殿へと向かいます。

日本最大級の注連縄



神域・聖域を外界から隔てる端境=結界として用いられる注連縄も日本最大級。凄い迫力です。

お賽銭は注連縄にも。

一月一日の碑

出雲大社第80代宮司千家尊富氏が作詞した唱歌「一月一日」です。
千家尊富氏は宮司を退いてからは埼玉、静岡、東京の知事を務め、司法大臣になった人物。
詩人、歌人としても有名です。

題名だけはピンとこない方でも、以下の歌詞をみれば、なるほどと思われることでしょう。

年の始めのためしとて
終りなき世のめでたさを
松竹立てて門ごとに
祝ふ今日こそ楽しけれ


初日の光差し出でて
四方(よも)に輝く今朝の空
君がみかげに比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ尊けれ


さらに神楽殿裏手の摂社、末社もすべてご挨拶し、

姥神社

伊弉諾尊、伊弉冉尊がご祭神です。

火守社

天穂日命社

稲荷社


見事に剪定された松をメモ。
前回ご紹介した香川県高松市栗林公園訪問以来、
松の手入れ、剪定方法をかなり勉強したので、
より深く味わえるようになりました。
さすが出雲大社、ここにも風格と気品を感じます。

神楽殿のあとは再度荒垣内社域を一周し、

銅鳥居横の神馬、神牛を撫でて、

これからの時代に流れる風や空気に鼻が利きますようにと(苦笑)。
むやみに流されないよう祈ります。

北島國造家四脚門

そして東側にある北島國造家四脚門へと向かいます。

緑深い鎮守の杜に流れる能野川も水が流れていないと、城下町でよくみる堀にみえてきます(苦笑)。

北島國造家四脚門


緑陰を一陣の風が流れます。

ゆっくり散策する歴史散歩となりました。

亀の尾の瀧

北島國造館大門



そして再び銅鳥居をくぐり、いのちあるものは補強し、いのちの限りまで活かし使う出雲大社の遷宮における精神を確認し、出雲國を後にします。

iPadで表示した気象レーダーによると午後、中国地方は雷雨、しかもかなり激しいとの予報。

宍道湖PA(パーキングエリア)

宍道湖PA(パーキングエリア)から宍道湖を望遠レンズで撮り、帰路に付きました。

宍道湖



鳥取の至宝、大山

帰路楽しみにしていた鳥取の至宝、大山はこの日の午後は雲にすっぽり隠れ、姿が見えず残念でしたが、

中国地方各地で降り始めたゲリラ豪雨を運良くうまく避けながら、無事帰宅。

さっそくのご利益に感謝しつつ、本日はこれまでと致します。