夫婦写真散歩のススメ

歩く速さで、街の新陳代謝や季節の移り変わりをゆっくり、丁寧に味わってみましょう。

富士山

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noir5552013-01-06

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

昨年は多くの方々にお世話になりました。

ありがとうございます。


2013年(平成25年)、年の初めに、日本を代表する山、「富士山」をお届けします。

富士河口湖から眺める日の出前

日本最高峰の独立峰にして、その美しく、神々しい姿は数々の芸術作品に影響を与え、古くから神聖視され信仰の対象にもなってきました。

日本文学史においても数多くの作品が残されています。

まずはお正月にふさわしく富士山を真正面から堂々ととらえた最初の作品を味わいます。

萬葉集に収められた山部赤人によって詠まれた有名な長歌、その反歌です。

山部赤人 万葉集巻の三(317)

題詞 山部宿祢赤人望不盡山歌一首[并短歌]
原文 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者
訓読 天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
かな あめつちの わかれしときゆ かむさびて たかくたふとき するがなる ふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらひ てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくぞ ゆきはふりける かたりつぎ いひつぎゆかむ ふじのたかねは

山部赤人が富士山を望んで詠んだ長歌。天地開闢の昔、神話の世界から富士山の雄大な姿を詠いおこし、いつまでも語り継いでいこうという清らかな自然観照の名歌です。こころ静かに、声に出して「音」を味わってみてください。透き通るように静かな日本の光景が思い浮かんできます。

昇る朝日に染まる薄紅の富士山




山部赤人 万葉集巻の三(318)

題詞 (山部宿祢赤人望不盡山歌一首[并短歌])反歌
原文 田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
訓読 田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
かな たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける

「田子の浦ゆ」の「ゆ」は通過地点を表します。現在の静岡県由比町から富士市にかけての弓状の入り海である田子の浦に向かう途中薩埵(さった)峠を東へ越した辺りで、一気に視界が開け、純白に輝く富士山を実際に眺めたであろう率直で力強い感動が伝わってきます。

甲斐・駿河ふたつの国の神聖な中央から、富士山がそびえたつ姿を高橋虫麻呂もこんな風に長歌で詠んでいます。宝の山として、富士賛歌として味わい深き歌です。

高橋虫麻呂 万葉集巻の三(319)

題詞 詠不盡山歌一首[并短歌]
原文 奈麻余美乃 甲斐乃國 打縁流 駿河能國与 己知其智乃 國之三中従 出<立>有 不盡能高嶺者 天雲毛 伊去波伐加利 飛鳥母 翔毛不上 燎火乎 雪以滅 落雪乎 火用消通都 言不得 名不知 霊母 座神香<聞> 石花海跡 名付而有毛 彼山之 堤有海曽 不盡河跡 人乃渡毛 其山之 水乃當焉 日本之 山跡國乃 鎮十方 座祇可間 寳十方 成有山可聞 駿河有 不盡能高峯者 雖見不飽香聞
訓読 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも せの海と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも
かな なまよみの かひのくに うちよする するがのくにと こちごちの くにのみなかゆ いでたてる ふじのたかねは あまくもも いゆきはばかり とぶとりも とびものぼらず もゆるひを ゆきもちけち ふるゆきを ひもちけちつつ いひもえず なづけもしらず くすしくも いますかみかも せのうみと なづけてあるも そのやまの つつめるうみぞ ふじかはと ひとのわたるも そのやまの みづのたぎちぞ ひのもとの やまとのくにの しづめとも いますかみかも たからとも なれるやまかも するがなる ふじのたかねは みれどあかぬかも

古語辞典を傍らに置いて味わってみます。「なま」は「なまじひ」のナマ、「よみ」は月余美のヨミ、ほの暗い峡(かい)の情景で、海辺の駿河と呼応しています。いつまで見ても、何度見ても見飽きることのない霊峰富士、国の守護神として崇めた古人のこころがこの長歌に詠まれています。

万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

万葉集 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

富士山、Japan blue.




西湖、野鳥の森から望む富士山



西湖いやしの里根場から望む富士山




煙たなびく富士の山



西行 新古今和歌集雑歌中(1615)

新古今時代となると、歌枕として、伝えられたイメージの中だけでの富士山が詠まれることが増えます。しかしこの歌は「東の方へ修行し侍りけるに、富士の山をよめる」と詞書にあります。実際に富士山を見て詠んだ和歌なのでしょうか。

東大寺大仏再建のため、奥州藤原家、平泉の藤原秀衡公に沙金寄進を請う目的で向かった旅の途中に詠んだとの解釈もあり、西行自身が「これぞわが第一の自嘆歌」といったという歌でもあります。

風になびく富士のけぶりの空に消えて
ゆくへも知らぬわが思ひかな

別冊太陽 西行 捨てて生きる (別冊太陽 日本のこころ 168)

別冊太陽 西行 捨てて生きる (別冊太陽 日本のこころ 168)

三つ峠山から天上山の途中


視界が開けるとそこに富士山

靄に包まれた姿もよし、冬の透き通った空気のなかで、その威容を鮮やかに見せる瞬間もよし。
その瞬間、自然の前に立ちすくみ、頭を垂れ、手をあわせたくなるような畏敬の念。

そして何よりも冬の富士はこんなにも美しい。
大きく深呼吸して、その爽快な空気を全身で味わうと、文字通り身も心も洗われます。
やはり富士は日本一の山でございます。

皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。

本日のBGM

西村由紀江「鏡花水月」