夫婦写真散歩のススメ

歩く速さで、街の新陳代謝や季節の移り変わりをゆっくり、丁寧に味わってみましょう。

二の丸庭園(皇居東御苑)

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皇居東御苑、二の丸庭園の魅力

日本庭園作庭の伝統「回遊式」

土を盛った築山や岩組で雄大な山岳風景を表現したり、大きな滝や渓谷があるかと思えば、そこから流れる水は大海(=大泉水)に。
大海を池で表現し、そこに島々を浮かべてみたり、土、植物、石、水といった自然素材を使い、実在する景勝地をそっくり縮めて表現してみせたりと日本庭園には自然の風景を造形化しようとしてきた作庭の伝統があります。

その日本庭園が世界に誇る様式のひとつは「回遊式」ということです。

ゆったりとした曲線の園路がその自然の縮景を縫うように設計され、歩めば歩むほど次々と景観が変化し、訪問者を楽しませてくれます。

明治初期に来日し、東京大学で建築学を教えたイギリス人ジョサイア・コンドル氏は日本庭園の特徴を「日本の庭園はこの国の風景の再現である」とその著書で語っています。

ジョサイア・コンドル

ジョサイア・コンドル

いまもなお、日本を訪れる多くの外国人が絶賛する「回遊式日本庭園」。

江戸時代に多く造られた回遊式の大名庭園は単に自然の素材を駆使してつくり上げられた造園藝術ではなく、これを使ってさまざまな楽しみを味わい、しかもそこで暮らすという近世日本が生んだ「総合芸術」作品ともいえるでしょう。

武家社会と公家社会をつなぐ文化装置

大名庭園は武家社会と公家社会をつなぐコミュニケーションを円滑にするだけでなく、茶の湯、能・狂言、連歌・俳諧といった当時流行の芸能・芸術はもちろんのこと、鴨猟・乗馬・弓術・釣りなどのスポーツ・レジャーも取り込む幅広い性格も持っています。

日本庭園の基本的な性格は歴史上一貫して「遊興」「接待」を目的とした優雅でおおらかな空間でした。

大泉水に舟を浮かべ虫の音を聴きながら月を眺めるなどの風流な催しも行われてきました。

その風雅でおおらかな空間に、一見すると簡素ながら極端な抽象と緊張をもたらす視覚芸術、枯山水が中世鎌倉時代から室町時代に掛けて日本庭園作庭に持ち込まれることで、個別性・特異性といったオリジナリティーも組み込まれ、江戸時代の大名庭園にも深みのある味わいを加えています。

近世、武家にとって重要な文化装置であり、実用と趣味生活の双方を満たし、暮らしを支える休養施設でもあった大名庭園。

二の丸庭園を歩く、撮る

江戸・東京の名園を歩くシリーズも第六回。今回は皇居東御苑にある「二の丸庭園」をご紹介します。

これまでにも何度かご紹介してきた皇居東御苑にある「二の丸庭園」。


改めていうまでもなく徳川将軍家の居城、政治・文化の中心、江戸城址であります。

大名庭園の誕生

江戸の大名庭園の誕生は徳川家康が江戸に本拠地に定めたことがきっかけとなります。西は武蔵野台地、東は隅田川を中心にしたデルタ地帯がありました。

ほとんど町並みもなかったところに参勤交代のため江戸居住用の屋敷地が建設されますが、これは屋敷地の規模・面積といった古都にあった制約から解放されることを意味していました。

スケールの大きな土地が与えられたことで、各大名が拝領した土地には自然の景観がすでに備わっており、まず初めに必要な邸宅を建てたあと、余った土地はひとまず手つかずで放置されました。

江戸の町を焦土と化した明暦の大火(1657)以降、江戸の町は防災対策を中心とした改造と復興が猛スピードで進みます。

さらに徳川の治世が安定期に入ると、大名はのちに上屋敷と呼ばれる本邸のほかに別の屋敷地が与えられ、中屋敷、下屋敷とも呼ばれた屋敷に庭園を造る一大ブームが訪れます。

江戸の町を何度も襲った火事や地震などの罹災した場合の避難地として与えられた屋敷地に大名はその石高に応じた見栄と意地、体面を保つため、この自然景観を上手く利用し、造園に励むこととなります。

特徴ある大庭園のほとんどは明暦の大火以降、寛文年間(1661〜73)に造園・整備されはじめ、それに連動するように全国各地の雄藩は国許にも大庭園を築き、社交・接待交際に利活用し、大名庭園のさまざまな様式が定着するようになっていきます。

江戸城二の丸庭園の歴史

江戸城内にあった三代将軍徳川家光が小堀遠州を作事奉行に指名し、作庭させた日本庭園も焼失、荒廃の憂き目をみますが、江戸幕府九代将軍徳川家重の代に緻密な絵図面・作庭記をもとに江戸城二の丸の庭園は復活します。

江戸城二の丸とは将軍の隠居場所や、将軍生母の居場所などに使われ、本丸御殿に準拠する館として機能することになっていた御殿です。御茶屋や泉水も造られていました。

寛永13年(1636)に竣工した二の丸御殿の平面図 「二之丸指図」を見ると、いまでいう「二の丸雑木林」付近に殿舎が建てられていました。

小堀遠州作といわれる庭園の池水は現在とほぼ同じ場所にあります。

残念ながら明治維新の動乱期に再度荒廃し、明治・大正と手つかずのまま放置されますが、昭和元禄1973年、徳川家重の時代に作成した絵図面をもとに江戸城の「二の丸庭園」は現代によみがえりました。

皇居東御苑と二の丸庭園フォトコレクション

新緑の初夏から紅葉の晩秋にかけて四回訪問し、御苑内を撮り比べてみました。
まずは目に優しい緑と

見頃を迎えた紅葉から。

ヒガンバナ、

十月桜の初々しさ、

皇居東御苑名物のツワブキ、

古品種果樹園の梨、

真夏日の緑陰と、

秋の気配に、

常緑の珍しい松や

桜の紅葉と落葉。


回遊式の園路はまさに一歩一景。



十二月に入ると紅葉も見頃を迎えます、


午後の柔らかな陽射しに照らされ、秋色に染まっております。

石組も繊細な日本庭園の美を見事に表現しています。




確実に小堀遠州が作庭に関与したといえる城郭庭園は京都・二条城二の丸庭園が有名ですが、東京では皇居東御苑二の丸庭園にその設計思想が受け継がれています。

秋の皇居東御苑・二の丸庭園は本当に美しい。

ぜひ一度紅葉の季節にお出掛け下さい。入園無料です。

紅葉と秋の夕暮れをたっぷり味わってから皇居を離れ、

内堀を歩くと、白鳥の姿が。

夜の帳が落ちると新社屋が完成したばかりの東京・銀座・資生堂本社のクリスマスツリーとイルミネーションを見に銀座七丁目へ。

真っ赤な唇で作るところがさすが資生堂本社、シャレオツです。

銀座四丁目に移動し、銀座から東北へという想いを込めた光のイベント、「ヒカリミチ GINZA ILLUMINATION 希望の輪」も美しい。

ヒカリミチ GINZA ILLUMINATION 希望の輪




紅葉が美しい皇居東御苑から銀座へ向かう写真散歩、いかがでしょうか?
ぜひ一度お試しください。

それでは次回も大名庭園をご紹介します。それではまた。

【追記:2019年6月3日】日本三名園+栗林公園(高松)

我が国を代表する日本三名園も「夫婦写真散歩のススメ」ではご紹介しています。

日本三名園とはいつ頃から言われ始めていたのか?皆さんはご存知でしょうか?

どうやら日本三名園と呼ばれるようになったそのきっかけは大正九年(1920)発行の「尋常小学校読本」巻一に記載された以下の一文で全国に広まったのではないかと推測されています。

「風致ノ美ヲ以テ世ニ聞ユルハ水戸ノ偕楽園、 金沢ノ兼六園、岡山ノ後楽園ニシテ 之ヲ日本ノ三公園ト称ス。然レドモ高松ノ栗林公園ハ木石ノ雅趣却ッテ 此ノ三公園ニ優レリ」。

いずれも風致の美を味わうことができる名園です。ぜひ一度訪ねてみてください。

水戸偕楽園

金沢兼六園

岡山後楽園

高松栗林公園


本日のBGM
久石譲「風立ちぬ」

風立ちぬ / 久石譲 in パリ

風立ちぬ サウンドトラック

風立ちぬ サウンドトラック