夫婦写真散歩のススメ

歩く速さで、街の新陳代謝や季節の移り変わりをゆっくり、丁寧に味わってみましょう。

清澄庭園(東京都江東区)

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回遊式築山林泉庭園、清澄庭園

江戸・東京の名園を歩くシリーズも五回目。
今回は江戸時代の造園手法が明治時代に引き継がれ、洗練され完成した名石の庭・清澄庭園をご紹介します。

清澄庭園は大泉水、築山、枯山水を主体とした回遊式築山林泉庭園です。
まずはその歴史から紐解いていくことにしましょう。

清澄庭園の歴史と岩崎彌太郎

江戸幕府老中・下総国関宿藩主、久世大和守広周下屋敷時代

さまざまな伝承が存在しますが、歴史資料による確実な記録をもとにお話しすると、この地は江戸時代二度幕府の老中という要職に就いた下総国関宿藩主、久世大和守広周に拝領され、享保年間(1716〜1736)に下屋敷として三つの池を持つ庭園として造成されました。

そのなかで最も大きな池(大泉水)が現在の清澄庭園の主役である広々とした池に転用されています。

岩崎彌太郎造成「深川親睦園」

現在の清澄庭園が生まれる直接のきっかけは、三菱財閥の基礎を築いた岩崎彌太郎が明治11年(1878)久世家下屋敷を含む付近の土地3万坪を取得し、社員の慰安・保養や貴賓の接待を目的として日本庭園を整備・造成し、明治13年(1880)「深川親睦園」と名付け開園したことにはじまります。

東洋の海上王、岩崎彌太郎

激しい海外との競争を乗り越え日本の海運業を独占し、造船・炭鉱・銅山経営から保険業に至るまで近代的な企業経営を確立した岩崎彌太郎。

幕末屈指の経済人として名を馳せた岩崎彌太郎は明治維新の動乱期を巧みに乗り越え、明治11年に三つの大名屋敷・庭園を購入し、見事な庭園を造成します。

越後高田藩の中屋敷であった場所(台東区池之端)とその周辺の土地を買い増し、岩崎家の本邸として「旧岩崎邸庭園」を建て、文京区本駒込の柳沢吉保が築造した「六義園」を復旧させます。

名石の庭、基本コンセプト

さらには今回ご紹介している「清澄庭園」には隅田川の水を仙台堀川経由で引いた大泉水と築山が配された名石の庭を造ったのです。

作庭の基本コンセプトは敷地いっぱいに可能な限り池をとり、周遊をより効果的に楽しめるよう工夫された園内にあります。

造園工事は開園後も続けられ、東洋の海上王と異名をとった岩崎彌太郎は三菱汽船会社の蒸気船を使い、全国の名石・奇石を集めさせ、現在も清澄庭園で見られる庭石として配置します。

真鶴石

岩崎彌太郎唯一の趣味「渓山丘壑」

岩崎彌太郎はまだ40歳代にも関わらず、明治の大実業家の間で大流行していた書画骨董には見向きもせずに、趣味人最後の佳境とされる「泉石」を愛し、広大な池の中心に中島を浮かべ、周囲に丘陵をめぐさせ、明るく気品のある美しい日本庭園を造ったことには心底驚かされます。

「自分の心は渓山丘壑(けいざんきゅうがく)を愛している。だから業上憂悶を感ずる時には庭園を見に行く。すると心気はたちまち爽快になる。ほかには趣味はない。これが唯一の趣味である」と語っています。

明治13年頃の常識でいえば、政治家や商売人の行う接待は新橋・柳橋・向島などの料亭で芸者をあげて、酒食を振る舞うものがほとんどでした。

経営者、岩崎彌太郎

「会社」という意識すらなかった時代に社員の慰安・保養にこうした庭園を使わせるなどということはもちろん皆無で、きわめて異例かつ斬新なことです。

各種社会保険や年金といった社会保障制度など姿かたちを成していなかった幕末・明治初期と比較すれば、過保護にさえ感じる現代日本に生きる「私たちの常識」から思えば、36歳で独立して「三菱」を起こし、企業経営の近代化を推し進め、大三菱の基礎をわずか13年半で築くという驚異的な業績をあげます。

また50年という短い激烈な生涯のなかで、趣味人としても超一流の名庭園を残し、同時に「社員」の福利厚生を考え抜いた経済人・岩崎彌太郎はもはや理解や想像を超える存在かもしれません。

そんな彼が好んだ日本庭園作庭のこころは関東大震災、東京大空襲という東都を焦土と化した災禍による壊滅的打撃を乗り越え、いまに伝えられています。

都指定名勝、清澄庭園案内板


彌太郎没後も岩崎家三代によって守られた庭園は関東大震災のあと、大正13年(1924)震災被害が比較的少なかった東半分が岩崎家から東京市に寄付され、復旧が進められ、整備して「清澄庭園」として昭和七年(1932)東京市の公園として開園。東京大空襲の際は避難場所として多くの市民の命を救うことになります。

また、昭和52年には庭園の西側に隣接する敷地を開放公園として追加開園しました。ここには芝生広場、パーゴラなどがあります。

また桜の木が数多く植えられ、春にはお花見の場として賑わっています。

清澄庭園は昭和54年3月31日に東京都の名勝=文化財に指定されています。

それでは東京都指定名勝、文化財庭園の中でも名石の庭として誉れの高い清澄庭園をお散歩していきましょう。

清澄庭園 秋フォトコレクション

10月下旬の訪問ということもあり、紅葉はまだまだこれからという風情。

秋の柔らかい光をテーマにのんびりと「業上憂悶」を溶かす写真散歩となりました。

名石の数々の脇には木製の説明板があります。有難い配慮です。

京都保津川石

紀州青石

讃岐御影石

伊豆川奈石

生駒石



築山に登り渓谷を渉る園路は変化があって飽きさせず、石を敷き詰めて道を作る工夫も見事です。

直打ちは一直線に、大曲は曲線状に、といろいろな形に打ちながら、板石を混ぜるいかだ打ちも美しい。

仙台石(石橋)



立ててよし、寝かせてよし、組み合わせてなお美しい名石の数々を楽しめるお庭です。


磯渡り

大泉水をのんびりと歩くと、磯渡りの石が置かれ、そこが歩けるようになっています。

その飛び石も二連、三連、四連と打たれたり、千鳥掛や雁打ちの混合などもある。
水際を飛び石で散策させ、歩くことを楽しみに変える心憎い演出にうっとりします。一歩一景の変化をお楽しみください。

江戸末期に書かれた『露地聴書』という古文書には「利休は渡り六分、景気を四分、織部はまたその逆に据える」とあります。

ここでいう「渡り」とは歩きやすさ、「景気」とは見た目の良さのことです。
つまり千利休の石の打ち方は歩きやすさにやや重きを置き、古田織部は見た目の美しさを重視して飛び石を打つという実用重視と景観重視に分かれています。

千利休

千利休

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千利休

千利休

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磨滅した自然の色味を重視したり、時には色鮮やかな石が混ぜられたり、日本の大名庭園に込められた美意識を継承し、招いた客を楽しませ、満足させる造園哲学、手法が洗練されていった歴史を感じる名石の庭、それが清澄庭園なのです。

大泉水





大泉水越しの富士山(築山)遠景

松尾芭蕉の句碑

古池や かはず飛び込む 水の音


清澄白河、深川といえば、松尾芭蕉ゆかりの土地。この句碑の由来もしっかり説明されています。

風雅を味わい、名石を眺めつつ、日本庭園でゆったり過ごせば、日頃の憂さもストレスも溶けて、晴れやかな気分になります。

伊豆磯石


大正記念館

平成元年に全面改築され、現在は集会場として利用できます。

この庭園がもっとも美しいのは5月初め。新緑の心地よい息遣いに溢れ、色とりどりのツツジがいっせいに咲き競います。

またカンヒザクラ、レンギョウ、木瓜の花咲く三月末と萩の花咲く九月半ばの季節にも趣きがあります。

冬は自然を凝縮した枯山水と呼ばれる石組みをじっくり眺めるもよし、雪が積もればなお美し。

また来園するのは人ばかりではなく、鳥の姿も通年でアオサギ・ゴイサギ・カワウをはじめ、カイツブリ、オナガ、シジュウカラ、ムクドリ、ヒヨドリなども見られます。

緑陰の水面に歴史を映す名石の庭、清澄庭園の主役、大泉水を回遊するバーチャル散歩いかがでしたでしょうか。

岩崎家三代が築き育てた庭の歴史と石や飛び石の打ち方などの鑑賞眼を磨くにも絶好の場所です。是非一度お出掛け下さい。

追記/2019年5月22日

米国ハーバード大学のビジネススクールをはじめ、国内外の研究所でもその人物と業績が研究されている岩崎彌太郎です。まずは三菱グループホームページにある「岩崎彌太郎物語」でいま一度ご確認ください。以下のアンカーテキストをクリックしてご覧いただけます。

岩崎弥太郎

三菱グループサイト

その岩崎彌太郎(岩崎弥太郎とも表記します)が購入した東京の名庭園に「六義園」があります。

六義園

和歌に造詣が深く、日本庭園の作庭にも意欲的であった柳沢吉保が自ら設計、指揮し、和歌に詠まれた景勝地や中国の故事にちなんだ美をイメージし、趣向を凝らした「見立て」の景観=八十八景を「六義園」に構築します。

この庭を明治に入り、岩崎弥太郎が購入し、整備しています。その結果として江戸の名園が維持されます。いま六義園を誰でも散策できるようになったのは岩崎家の力なしではあり得なかったともいえるでしょう。

殿ヶ谷戸庭園

後の世まで三菱財閥の大幹部の心に、初代総帥・岩崎弥太郎の庭園作りにかけた情熱は引き継がれます。国分寺市にある「殿ヶ谷戸庭園」は昭和4年(1929)当時三菱合資会社の副社長に就任した岩崎彦彌太がこの別荘を買い取り、「国分寺の家」と呼び、親しんだといいます。

昭和九年(1934)に現在の殿ヶ谷戸庭園にも残る津田鑿(つだ さく)設計による庭園建築の紅葉亭を新築し、園内を整備し、回遊式庭園を完成させました。

詳しくはこちらからご覧ください↓↓。