夫婦写真散歩のススメ

歩く速さで、街の新陳代謝や季節の移り変わりをゆっくり、丁寧に味わってみましょう。

讃岐高松城址(玉藻公園)

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瀬戸内の青い空、穏やかな海、多島美。

今回は瀬戸大橋線で岡山駅から高松へと渡った一人旅の記憶をご紹介します。

讃岐の魅力

屋島をはじめとする源平古戦場、金刀比羅宮、善通寺、特別名勝栗林公園などの名所旧跡。

源平合戦「3D立体」地図 (別冊宝島) (別冊宝島 1843 ノンフィクション)

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この地に流された崇徳上皇伝説、菅原道真伝承などの歴史ロマンの舞台でもあり、
怨霊になった天皇 (小学館文庫)

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弘法大師空海、平賀源内、菊池寛と多士多彩の人物を輩出した歴史と文化。
空海

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本草学者 平賀源内 (講談社選書メチエ)

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近現代でも讃岐=香川県、小豆島を舞台にした「二十四の瞳」、名曲「瀬戸の花嫁」といえば一定の年齢以上の方々には思い出深い作品でもあるでしょう。

木下惠介生誕100年 「二十四の瞳」 [Blu-ray]

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小柳ルミ子 瀬戸の花嫁 KKC-1035

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そして、いまや全国的なブームの讃岐うどんや江戸時代からの名産物、讃岐三白(塩、砂糖、綿)なかでも「和三盆」、小豆島を中心に栽培されているオリーブなど、面積は日本一小さくても、溢れんばかりの食文化に関する魅力を探る旅も奥が深く、ワクワクします。

五月中旬に訪れた高松。

燦々と降り注ぐ初夏の眩しい陽射しを浴びながら、

瀬戸大橋線、快速マリンライナーの車窓を眺めます。

坂出のコンビナートが見えてくると、グッと写欲も盛り上がってきます。

JR岡山駅から約1時間、車窓を眺め、その美しさに見惚れているとアッという間に高松駅に到着です。

高松駅周辺

電車を降りると駅改札近くで迎えてくれるのは「讃岐うどん」のお店。

連絡船時代の味を伝える「エキナカ」のお店です。

この日、写真散歩に許された時間は8時間。

まずは高松駅周辺を歩きます。

サンポート高松

香川県高松港玉藻地区東部ウォーターフロントにある旧・高松貨物駅跡地を再開発した大規模施設が集まる地区です。四国地方の超高層ビルとしては最高層のシンボルタワーは瀬戸の青空に映えておりました。お盆には6,000発の花火が夜空を彩る花火大会も開催されるとのこと。

駅周辺をブラブラしてから、まずは「かけうどん」で腹ごしらえ(苦笑)。

やっぱり本場讃岐はレベルが高い!さすがです。美味し。

山地と平野の面積が相半ばしていて、土地の利用度がきわめて高い讃岐。讃岐高松は瀬戸内海のほぼ中央に位置しているため、中国・四国・近畿・九州の各地方を結ぶ海運交通の要衝としての歴史も古く、経済、文化の中継地として栄えてきました。

萬葉集巻二、220番目に柿本人麻呂が讃岐を訪れた時に詠んだ長歌があります。

その冒頭に

原文 玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸
訓読 玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き
意味 玉藻のうち靡く 讃岐の国は国柄が立派なせいか いくらみても飽きることがない 国つ神が畏いせいか まことに貴い

とあります。

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玉藻よし、それでは駅からすぐの場所にある高松城趾、玉藻公園を歩いてみましょう。

玉藻公園


高松城築城に関する歴史をまずは近世から整理してみましょう。

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が四国平定後、美濃出身の武将、生駒親正を讃岐領主に任命します。

この時から讃岐は一気に近世への歩みを加速させます。

生駒親正は讃岐入部直後から領内安定支配のために、まず在地に強い影響力をもっていた讃岐の有力武士、香西、三野、佐藤氏などを家臣に取り立て、香東郡野原庄の海浜に高松城を築くための工事に着手しました。

さらに西讃岐支配のためには丸亀城を築き、また慶長年間には五年の歳月をかけ、検地を行い、各地に溜池も築造して、米作りのための灌漑用水を確保します。

生駒騒動

江戸藩邸の家臣団と国家老を中心にした生駒家との対立は、元和七年(1621)四代藩主生駒高俊が11歳で家督を相続し、藩主になったことから表面化します。

外祖父の藤堂高虎が執政として藩の運営にあたりますが、寛永七年(1630)藤堂高虎が亡くなったあとは、対立は激化し、時の江戸幕府老中、土井利勝や藤堂高次、脇坂安元に、江戸藩邸の重役、前野助左衛門、石崎若狭らの非法を記した19ヶ条の訴状を提出する大事件へと発展します。

結果、寛永十七年(1640)前野派の家臣団が江戸・国元から「立ち退く」という騒動になり、これを幕府からはご法度の「徒党」を組んだと判断され、幕府の評定に上ります。

藩主生駒高俊は改易となり、出羽国由利郡に賄料一万石を与えられるのみとされ、前野派は10名が処刑され、国家老の生駒帯刀ら三名は他の大名家預かりとなりました。

生駒騒動後の讃岐は領地を伊予西条藩や大洲藩、今治藩に預けられますが、西讃6万石が翌年山崎家治に与えられ、さらにその翌年東讃12万石が松平頼重に与えられたことから、讃岐国は西と東に分断され、丸亀藩と高松藩が成立します。

高松藩主松平頼重

徳川御三家、水戸藩主徳川頼房の長子であった松平頼重。

以前水戸偕楽園をご紹介したときにもお話しました父頼房のエキセントリックな性格と当時嫡子が生まれていなかった尾張徳川家、紀州徳川家への配慮もあって、松平頼重出生の経緯は水戸徳川家という御三家当主の長子としては実に複雑で、同じ母から生まれた弟・水戸光圀も出生の経緯も同じように何とも難しい立場に置かれます。

二人の英明な江戸初期を代表するお殿様を産んだ母の久(久昌院)は奥付きの老女の娘でした。

やがて久は奥に出入りするうちに水戸初代藩主徳川頼房の寵を得て懐妊します。

頼重出生の時点でまだ正室を持ってはいなかったのですが、徳川頼房がすでに側室に迎えていたお勝(円理院)の機嫌を損ねたために、頼房は三木之次夫妻に対して、「水にせよ」と久の堕胎を命じます。現代からみれば酷い話ですが、武家社会の時代ではこういう話も当たり前のように数多く存在します。

奥付老女として仕えていた三木之次の妻・武佐が頼房の准母であるお梶の方(=お勝、英勝院)と相談し、「主命に背いて密かに自邸で出産させた」と伝えられています。

同母弟の二代水戸徳川家藩主・水戸光圀についても同様の経緯があり、長男・松平頼重と三男・徳川光圀は幼少期の数年をそれぞれ三木竹丸(=頼重)、三木長丸(=光圀)を名乗って水戸城下で隠し育てられたのです。

水戸光圀 (山岡荘八歴史文庫)

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光圀懐妊時に頼重は京都の公家、大納言滋野井季吉に預けられて養育されます。そのあと、天龍寺慈済院の洞叔寿仙のもとで学問に励みますが、寛永九年(1632)江戸屋敷に呼び戻されることになります。

しかし翌年、水戸徳川家の世継ぎは弟光圀に決まります。

まずもって、頼重が長子として誕生したことを幕府に届け出ていなかったことが影響し、また、ちょうどその時、頼重は当時はたいへんな重病であった疱瘡を患っていたこともあり、次代当主の座は光圀に決定ということになったのです。

長男でありながら、御三家のひとつ水戸藩の家督を相続できなかった頼重は寛永16年(1639)常陸国下館五万石を与えられ、分家を立てます。三年後江戸幕府三代将軍徳川家光の計らいで、12万石に加増され、讃岐国高松に移ります。

徳川家康の孫である頼重と光圀はやがて養子を迎えあい、水戸藩は頼重の子、綱条(つなえだ)に、高松藩は光圀の子に家督を譲ります。

そして讃岐松平家は後々も御三家につぐ扱い家門大名として高い格式の待遇を受け、譜代大名筆頭の彦根藩井伊家と同格の溜間詰に叙せられます。将軍の代替わりには京都への使者を務めるなど江戸幕府においても幕政にも関与するなど重要な役割を担うことになります。

高松城の完成と領内政治体制の確立

長く続いた戦乱による後遺症で讃岐国は領主が目まぐるしく交代し、ようやく成立した讃岐高松藩は厳しい財政運営を余儀なくされますが、松平頼重は領内政治体制を確立すべく軍役人数割りを行い、家臣団を編成し、家臣知行米を知行高の四割に統一します。また406にもおよぶ溜池を築き、海岸の埋め立てによって新田干拓を行い、耕地の増加を図ります。

さらに松平頼重は讃岐高松入部直後から高松城の修築に乗り出し、城下町には上下水道を敷設し、武家屋敷の拡充に努めます。さらに寛文十年には高松城天守閣を建て替え、二年後には東の丸、北の丸の築造など高松城普請を行い、高松城を完成させます。

近世城郭の海城としては、最初にして最大の例で、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われているほど見事なものだったようです。

明治時代撮影の天守


残念ながら天守は現存せず、月見櫓、艮櫓(うしとらやぐら)、水手御門(みずのてごもん)、渡櫓が重要文化財に指定されており、毎週日曜日、月見櫓と渡櫓の中が一般公開されています。

月見櫓



内部に入り、急な階段を這うように上ると

江戸時代にタイムスリップしたような気分になり、

瀬戸内海に開けた窓からの光景は見事です。



玉藻公園の庭園




新緑と紅葉の競演

ツツジも見事に咲き誇り、


ソテツと降り注ぐ陽光の美しさ。

昭和天皇、皇后陛下お手植えの松


披雲閣(讃岐松平家別邸)


展望デッキ



眺望をじっくり味わいます。


天守イメージ


鞘橋



たっぷり時間を掛けて、園内を散策。




豊かで溢れんばかりの陽光に元気パワーをフル充電。

お昼も讃岐うどんの揚げ餅と小エビの天ぷら温ぶっかけに舌鼓(笑)。

次の目的地、特別名勝、天下の名園「栗林公園」へと向かいますが、本日はこれまで。

本日のBGM

名ジャズピアニスト、レッド・ガーランドの名演をどうぞ。それではまた。