「葛飾」の歴史をさかのぼると、正倉院文書にもその地名が書き記されているように奈良時代、律令制国家建設のなかで令制国として広大な領地を有する大国と定められた下総国にその起源はあります。
そして下総国の国府、中心地は葛飾郡でした。
以前市川真間の手児奈伝説を紹介したときに詳述しましたが、葛飾郡は南は江東区(亀戸、大島、北砂、南砂、東砂)から北は茨城県古河市にいたる広い領域にわたります。
中世では現在の江戸川をはさんで東側を葛東、西側を葛西と呼ぶ慣習も生まれます。
現在の行政区分でいうと東京都葛飾区と江戸川区の全域、墨田区、江東区の一部がそれにあたり、葛飾郡一帯が「葛西」に一致する事になりました。
源頼朝=鎌倉殿の御家人となり、奥州藤原氏との戦いで武功を挙げた葛西三郎清重の居館、葛西城も江戸川の西側にあったと推測されています。
また江戸時代に始まった利根川の東遷事業によって明治時代後期まで長い時間を掛けて行われた河川改修工事が現在の行政区分に大きな影響を与えることとなりました。
今回は金町駅から歩き、その「かつしか」の歴史、古の人々が大切にした祈りという文化を探訪するお散歩です。
葛西神社(東京都葛飾区東金町)
創建は平安時代、元暦2年(1185年)。現在の行政区分では、東京都葛飾区と江戸川区の全域、墨田区、江東区、足立区の一部地域にあたる、上葛西、下葛西合わせた三十三郷の総鎮守として葛西三郎清重公の信仰により 香取神宮の分霊を祀ったのが始まりです。
葛西の森の七福神
江戸川に近く、JR、京成共に金町駅から徒歩圏内にあります。金町といえば、隣駅柴又帝釈天は男はつらいよで全国区となり、柴又七福神めぐりでもご紹介した神社仏閣にある七福神めぐりは年々参拝客も増えているようですが、ここ葛西神社には一社で七福神巡りが可能な「葛西の森の七福神」が祀られています。
葛西囃子発祥の地
由緒ある古社、葛西神社は祭囃子(葛西囃子)発祥の地でもあります。
大晦日夜から元旦にかけて二万数千人の参拝客があり、広義の葛西地域=葛飾区と江戸川区の全域、墨田区、江東区、足立区の一部地域の総鎮守の杜である葛西神社の主祭神は「経津主神」です。
フツと断ち放つ剣を象徴した神名で、自己研鑽、勝負、諸願成就にご利益があるとされています。
それではさっそく恒例バーチャル参拝をどうぞ。
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富士塚
ここでちょっとハプニング。超ローアングルで水平垂直を出すために無理な格好をしていたら、うっかり足を滑らせ、膝を石にぶつけ、目もくらむような激痛が走り、その場に蹲りました。やってしまったとその時は思いました。激痛のなかで、起きあがれるかさえ不安な痛みです。
うぅぅぅ〜うめき声を出しながら、そっと左手で石に触れ、無心でしばらく痛みをこらえ、じっとしていると、
こういうことってあるんですね。ホントびっくり、あら不思議。すぅーと痛みが引いていきました。
富士山を年頭の記事にもってきたおかげでしょうか?
紫色に晴れあがるのはもちろん、内出血は覚悟していただけに、何だかあの痛みはどこに行ったの?という感じです。ひたすら富士山の大神に感謝、感謝でした。世の中不思議なことってあるものです。
徳川家康との所縁
ここ葛西神社にはさまざまのご祭神が祀られていますが、徳川家康公も奉っています。徳川家康が葛西神社へ立ち寄った際、古くから伝わる操り人形芝居の神事を見て、大変感激し、その奨励のため天正19年(1591年)に御朱印十石を与えたことから、その縁で立身出世や事業成功の象徴として今なお尊崇を集めています。
葛飾区、江戸川区にお住まいの方でここが総鎮守であることをご存知なかった方は一度お参りしてみてはいかがでしょう。
毎月第一土曜日には青空骨董市も開催されていますし、葛飾区唯一のお酉様として11月、酉の日には、熊手を求める参拝者で賑わっています。そうしたイベントをきっかけに訪ねてみるのもよいかもしれません。
葛西神社公式ウェブサイト
さて新春開運散歩、金町編は場所を移動し、金町駅北域へと進みます。
真言宗豊山派金蓮院
歩くのが苦手な方でもそれほど苦にならない距離に樹齢400年以上の珍しい古木が残っています。
その古木は真言宗豊山派の金蓮院というお寺さんにあります。
総本山は奈良の長谷寺、昨年12月にご紹介した錦秋の長谷寺、その広大な境内、寺域に広がる美しい光景を思い出しました。
半田稲荷神社
半田稲荷神社は、和銅四年(711)の創建とも永久年間(1113〜17)の創建ともいわれる古社です。
天台宗業平山南蔵院(しばられ地蔵)
今回の最大の目的地、水元公園近くにある天台宗業平山南蔵院、通称縛られ地蔵尊を目指しました。
天台宗業平山南蔵院山門
南蔵院の歴史
http://shibararejizo.or.jp/history.htm
在原業平ゆかりのお寺で、その縁で業平山という山号を有しています。
元々は業平橋にも近い現在の墨田区にあったお寺さんですが、関東大震災による被害で現在の東水元に移転してきたそうです。
縛られ地蔵
業平山南蔵院公式ウェブサイトによる説明
しばられ地蔵|南蔵院 公式ホームページ|大岡裁きで有名なおじぞうさまです|
しばられ地蔵尊は、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られています。像高1メートルほどの石の地蔵尊で、元禄14年(西暦1701年)の造立と伝えられています。「文政寺社書上」によると、この地蔵尊は諸願成就、殊に難病平癒に霊験があり、信心の者が祈願するときは地蔵尊を縄で縛り、成就したときには縄を解くことから、しばられ地蔵と称したと記されています。毎年12月31日(大晦日)の夜、しばられ地蔵尊の縄解き供養が行われます。また、大晦日と元日には厄除けから縁結びまで、あらゆる願い事を結ぶ開運の縁起、「結びだるま市」が開かれます。
江戸南町奉行、大岡越前守忠相の名裁き「しばられ地蔵」物語顛末
江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗の治世のことです。日本橋室町にある越後屋八郎右衛門の店に出入りしている弥五郎という荷担ぎがいました。
弥五郎の仕事は下総国松戸郷から日本橋室町の越後屋まで、白木綿を運ぶことでした。
ある日、本所中の郷、現在の墨田区吾妻橋三丁目あたりにさしかかると、南蔵院という名の大きなお寺がありました。
荷担ぎ弥五郎大失態
そのお寺には石のお地蔵さんがあり、ちょうどいい木陰があったので、弥五郎は、「お地蔵さま、ちょいと休ませてもらいますよ」と声をかけ、一休みしたのですが、荷担ぎの仕事で、とても疲れていたので、ついうっかり、そのまま眠り込んでしまったのです。
さて、弥五郎がふと目を覚ますと、もうすっかり日が傾いていて、通りには人気もありません。
「いけねえ、寝過ごした」と思っても後の祭り。弥五郎はすぐに出発しようと、そばに置いたはずの荷物を探したのですが、どこにも荷物がないのです。
白木綿の反物500反を盗まれる
「しまった、荷物を盗まれた」あわてた弥五郎は、南蔵院に飛び込んで、「すみません。おれの荷物、白木綿の反物を持ち去った者を見ませんでしたか」と、たずねますが、お坊さんは気の毒そうな顔をしながら、「さあ、そういう者は見なかったねえ」と答えます。
弥五郎は仕方なく、手ぶらで日本橋室町の越後屋へ帰ると、店の人たちに事の経緯を話しますが、「昼寝をしていて荷物を持っていかれただって。そんな間抜けな話を誰が信じるもんか。本当は勝手にどこかに売り払って博打にでも使ったんだろう。まあ、いずれにせよ、無くなった荷物の代金は弁償してもらうよ」と言われ、弥五郎はすっかりしょげ返ってしまいました。
反物は五百反もあったので、そんなにたくさんの白木綿を弥五郎一人で弁償出来るはずがありません。荷担ぎの元締めにも相談してみましたが、元締めの生活も楽ではないので、代わりに弁償する事は出来ません。
「思えば、自分が油断して寝込んでしまったのがいけなかった。この上は、死んでおわびをするしかないか」。
そこで弥五郎は、思い詰めて親しい友人に最後の別れを言いに行ったのです。
弥五郎、命がけの直訴
意気消沈で訪ねた友人は、事の仔細を聞いてから、弥五郎にこう言いました。「お前が死んでも、残された元締めや家族や親類に迷惑がかかるだけだろう。それよりも、死ぬ覚悟があるのなら、南町奉行所の大岡さまに訴えてみろ。
忙しいお方だから、いきなり、一介の町人が行っても簡単には会ってくれないだろうが、一歩も動かず何日も死ぬ気で訴えりゃ、その内に大岡さまが直々にお取り調べとなって、何とかしてくださるかもしれねぇ」
弥五郎はそれを聞くと、大喜びで奉行所へ行き、大きな門の前で声を張り上げて言いました。
「私は室町の越後屋さんに出入りしている、荷担ぎの弥五郎と申す者でございます。
本所中の郷の石地蔵の前で居眠りをしていたところ、大事な荷物を何者かに持ち去られてしまいました。
越後屋さんは反物を弁償しろとおっしゃいましたが、五百反もの白木綿を弁償出来るあてもありません。この上は入水しておわびをと決心しましたが、私が死ねば責任は荷担ぎの元締めにふりかかってしまいます。
お忙しいとは思いますが、どうか大岡さま直々のお取り調べをお願い申しあげます。お聞き届けいただけない時は、身を投げて死ぬ覚悟でございます」。
必死の思いで弥五郎は直訴しますが、なかなかお忙しい大岡さまには取り次いでもらえません。
しかし、弥五郎は三日の間、物も食べずに座り込んで頑張っていると、役人がやっと弥五郎の事を大岡越前守忠相に取り次いでくれました。
大岡越前名裁き
すると大岡越前はそれまでの仕事を中断して、「人の命を救う事より、重い仕事はあるまい」と、さっそく弥五郎を呼んで、直接、事の次第を丁寧に聞いてくれました。ここから警察権と裁判権を司る南町奉行所、その最高責任者である大岡様の取り調べが始まります。
大岡越前は弥五郎の話を聞き終わると、少し考えてこう言いました。
「なるほど、承知した。地蔵菩薩といえば国土を守る仏である。その方は地蔵に預ければ安心と思い、荷を下ろして休んだのであろう。
その方の油断にも責任があるが、地蔵ともあろう者が目の前で盗みを働く者を見て見ぬふりをするとはけしからん。さっそく縄をうち、引っ捕らえて取り調べをせねばならん。あるいはこの地蔵こそ、盗人とつるんで悪事を働いているのかもしれぬぞ」。
それを聞いた弥五郎は、「地蔵さまが悪いとは…。天下の名奉行と誉の高い大岡さまはいったい何をお考えになったのか、大丈夫か」と真意がさっぱり分かりません。しかしここまでくれば、全てを大岡さまに任せるしかないと腹をくくります。
江戸南町奉行大岡越前守の命令により、南蔵院にあったお地蔵さまは縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて、当時の繁華街であった両国を経由して、江戸南町奉行所のある呉服橋御門内へと引かれていきました。
江戸の町は大騒ぎ!
お地蔵様が奉行所へ連れて行かれる、この噂は人から人へと伝わり、名奉行大岡越前がお地蔵さんを取り調べるということで、たちまち江戸市中の評判となります。それを一目見ようと江戸中から町人たちがぞろぞろと集まってきました。
やがてお地蔵さまは南町奉行所に到着し、それに釣られ、物見遊山でついてきた野次馬たちも大八車のあとについて次々と奉行所に入っていきました。
そして、お白州に引き出されたお地蔵さまに、大岡越前は恐い顔をして告げます。
「その方、人々から南無地蔵大菩薩と尊敬をうけ、人々を慈悲にて救わねばならぬ身でありながら、目の前で盗みを働く者を見過ごすとは不埒千万である。盗みを知っていて止めぬは、盗人と同じであるぞ。さあ、今すぐ盗賊の事を白状いたせ。さもなくば、入牢申しつけるぞ!」
大岡越前はお地蔵さんの返事を待ちましたが、むろん、石のお地蔵さんは返事をしません。
事の次第を見物していた野次馬たちは、このおかしなやり取りにあきれて、ひそひそと話しはじめました。
「大岡さまは、いったい何を考えているんだ?」
「まさか本当に、お地蔵さまを罰するつもりか?」
お白洲に続々と集まった野次馬の様子をしばらく観察したあと、名奉行大岡越前は「この者たちはどういうつもりか。お白州に勝手気ままに入り込み、吟味を見物するとは不届き千万。前後の門を閉じよ。一人も逃すな」と突然大きな声で部下に命じます。
いきなり門を閉ざされ、野次馬たちはびっくりです。
野次馬たちは一通り名前や住所を調べられ、いったんは家に帰してもらえることになります。しかし、奉行所を出るときに「あとできついお仕置きがあるぞ」と全員に厳しく言い渡します。
しばらく後に奉行所からお達しがありました。
そのお達しには「奉行所に勝手に入り込むことは不届きである。重罪を申し付けてもよいが、もとは白木綿の吟味から始まった事ゆえ、白木綿一反の罰金で許す事にする。三日のうちに持参いたせ」とありました。
野次馬たちは、牢屋に入れられるのではないかと思っていたので、そんな事で済むのならばと、みんなホッと胸をなでおろしながら、奉行所へ白木綿を持って行きました。こうして三日のうちに、白木綿の反物が江戸南町奉行所に山と積みあげられたのです。
そこで大岡越前は、弥五郎を呼んできて尋ねました。
「弥五郎。この中から、盗まれた反物を見分ける事が出来るか?」
「はい。盗まれた反物は、しかと覚えています」
そこで弥五郎が反物を調べていくと、中に二反だけ、盗まれた反物が混じっていたのです。すると大岡越前は、その反物を持ってきた町人に、「これを、どこで買い求めたのだ?」と、尋ねました。さらに売り主を問い質したところ、本所表町に住む者が盗賊と判明したのです。
こうして盗まれた反物は、そっくりそのまま戻ってきました。大岡さまは弥五郎に反物を渡して、こう言います。
「これはその方に返すゆえ、今後は油断して、地蔵に苦労をかけてはならんぞ」と。
そして野次馬たちから集めた反物も、持ってきた者たちにすべて返しました。「その方らの協力により、無事に盗賊を見つける事が出来た。これらの反物はその方らに返そう。また、地蔵も赦免申しつけるゆえ、中の郷に持ち帰り安置するように」、これにて一件落着と相成りました。
一件落着、しばられ地蔵誕生
この話はたちまち天下に知れ渡り、このお地蔵さんに頼めばどんな事でも願いが叶うと評判になります。大岡越前の名裁きにちなんで荒縄で地蔵をしばり、「願いが叶ったら、縄を解きます」と、願を掛けるようになったと現在に伝わっています。
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金町駅から葛西神社、金蓮院、半田稲荷、南蔵院と歩き、帰路へ。
たっぷり歩いて、感じて、撮る、新春開運散歩でした。
最後に、墨東の夕景を一枚味わってみてください。