JR北鎌倉駅。鎌倉を代表する寺院が集まることから、昭和初期、地元の皆さんの要請で参詣者の便を図るために作られた駅舎は緑に包まれた山の谷間にある円覚寺の境内に位置し、静かな住宅地に囲まれています。
「古都鎌倉にふさわしく、静かで素朴な駅」と理由から、関東の駅100選にも選ばれています。小津安二郎監督の「麦秋」もこの駅が舞台。小津監督自身も北鎌倉に住んでいらっしゃったこともあり、お墓も円覚寺にあります。
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臨済宗円覚寺派大本山円覚寺
長く続いた残暑で、真夏のような一日だった10月6日(土)、円覚寺を歩いた記録をお届けします。
文学案内板
季節の花と紅葉の名所でもある円覚寺は文人墨客からも愛された場所で、
川端康成、大佛次郎、夏目漱石、有島武郎をはじめ、数多くの作家の手によって描かれています。
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鎌倉ペンクラブ
明治から大正にかけて、泉鏡花、島崎藤村、夏目漱石、芥川龍之介と錚々たる文士たちが鎌倉に滞在し、重要な作品を残したこともあり、昭和に入り、横須賀線が開通してからは、里見紝と久米正雄をリーダーに永井龍男、大佛次郎、川端康成、横山隆一、小林秀雄、島木健作など40名を超すメンバーが「鎌倉ペンクラブ」を結成します(敬称略)。
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貸本屋「鎌倉文庫」
また大東亜戦争末期には鎌倉文士たちが蔵書を持ち寄って始めた貸本屋「鎌倉文庫」の存在も忘れてはならないと思います。貸本屋「鎌倉文庫」の経営は店番から帳簿管理まで文士が持ち回りで担当しました。
「鎌倉文庫」発案者には久米正雄や川端康成、協力者に小林秀雄、高見順、久米正雄、里見紝、中山義秀たちがおり、読書券は横山隆一の図案、小島政二郎、大佛次郎、永井龍男、林房雄らが蔵書を出しました。
世話役の川端康成、久米正雄、中山義秀、高見順や夫人たちが交代で店に出て、読書の機会を失った町の人びとに喜んでもらおうと「鎌倉文庫」が発足した背景にはそんな願いもあったのです。活字に飢えていた世相に光を、と自ら店番に立った川端康成は後に、当時を振り返り綴っています。「鎌倉文庫は悲惨な敗戦時に唯一つ開かれてゐた美しい心の窓であつたかと思ふ」(「貸本店」より)。
それでは文士たちを惹きつけ、愛された北鎌倉、円覚寺を歩きましょう。
円覚寺三門(山門)
杉木立に囲まれた階段上に見える「三門」。威風堂々まさにそんな言葉による形容がふさわしい。
ちなみに「三門」とは空門・無相門・無願門の三境地を経て、仏国土に至る門、三解脱門(さんげだつもん)を表し、扉を設けないものも多くあります。これは一切衆生=仏の前ではみな平等で、どんな人でも、仏門に入る事を拒まない仏の大慈悲心を表すものとされています。「山門」は仏教寺院の正門である三門の異称です。寺院は本来山に建てられ山号を付けて呼んだ名残りで、仮に平地にあっても山門ということが多いのです。
この日は併設される北鎌倉幼稚園の運動会、いまや揺るぎなき人気を誇る国民的スーパーアイドルグループ「嵐」の曲がメドレーのように繰り返し流れ、宝冠釈迦如来をご本尊とする仏殿前広場では明るい歓声が響いておりました。
臨済宗・圓覚寺派本山公式ウェブサイト
元寇という日本史上でも稀な外国からの侵略という大事件、さらに相次ぐ天変地異、大飢饉など激動の時代であった鎌倉時代末期。東アジアの激動とリンクして、宋からの亡命、中国大陸文化の流入、第二波があったこの時代。文化史、思想史的にも大転換期に立てられた禅宗、臨済宗のお寺です。鎌倉五山第二位の寺格とその歴史から学ぶことも多いのではないかと思います。
円覚寺沿革
(円覚寺公式サイトからの引用)
1282年(弘安5年)、鎌倉時代後半北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建されました。時宗公は18歳で執権職につき、不安な武家政治の中で心の支えとして、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。 時宗公は禅を弘めたいという願いと蒙古襲来による殉死者を(敵味方区別なく、冤親平等に)弔うために円覚寺建立を発願されました。
円覚寺の歴史
円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府の篤い帰依を受け、寺領の寄進などにより経済的基盤を整え、鎌倉時代末期には伽藍が整備されました。室町から江戸時代幾たびかの火災に遭い、衰微したこともありましたが、江戸末期(天明年間)に大用国師(誠拙周樗)が僧堂・山門等の伽藍を復興され、修行者に対し峻厳をもって接しられ、宗風の刷新を図り今日の円覚寺の基礎を築かれました。明治以降今北洪川老師・釈宗演老師の師弟のもとに雲衲や居士が参集し、多くの人材を輩出しました。 今日に至ってもさまざまな坐禅会が行われています。静寂な今日の伽藍は創建以来の七堂伽藍の形式が伝わっており、山門、仏殿、方丈と一直線に並び、(法堂はありませんが)その両脇に右側、浴室、東司跡、左側、禅堂(選佛場)があります。
ここ北鎌倉を歩くときは、IT機器の利便性から離れ、五感を研ぎ澄まし、歩く喜びを味わいつつ、豊かな自然に囲まれた静謐を味わい、鎌倉時代から受け継がれた人々の暮らし、信仰、歴史を感じる場所と鷹揚に構えることといたしましょう。
円覚寺「花」コレクション
残暑のおかげで花暦もゆっくりゆっくり進んでいるようでした。花も実も蝶も併せてお届けします。
劣化し続ける高齢者の撮影マナー
近年、三脚、一脚禁止の場所が多くなりました。コンパクトカメラ以外禁止の場所もあります。鎌倉に限らず、花や貴重な樹木が多い場所では植栽を傷つけないよう、また参拝の方の邪魔にならないよう撮影マナーも大切です。
残念ながら高級一眼レフに俗にいう大三元レンズ(開放F値の明るい高級ズームレンズなど)を付けて、大型三脚を担ぐフォトコンマニア、特に自己目的をひたすら正当化する写真愛好家のグループによる撮影行動や自分本位の頑迷な高齢者、定年退職後本格デビューの方に急増するマナー違反が背景にあります。
管理する方々にお聞きすると「若者の方が相対的にマナーは良いと思いますよ」とのことです。
撮ることばかりに夢中になって、ついついということが無いように気を付けましょう。大人ならば、なぜそういう窮屈なルールを作らねばならなくなったのかを考えなければと思います。
撮影者は「自分も見られていること」を自覚して、マナーを大切に。我を忘れてしまうのはどんな時も感心しませんよね。常に自戒と反省とともにありたいと思う今日この頃です。